2006年10月
ニャー  (2006.10.31)


ゴロニャーゴー


房総半島で思い出す、強制収容所の記憶  (2006.10.28)

朝ごはんを食べてたら、房総半島一周の旅を思い立つ。普段片道通勤距離3キロというエンジンに超過酷な負担を強いているので、まともに走るいいチャンスだし、天気も良いし出かける。大雑把なネット地図を2枚印刷して5分後、出発。とりあえず久々にガソリンを満タンに。
早速富津の手前で道が分からなくなり、迷う。コンビニで道路地図を暗記(立ち読み)し、鋸山の下を通り、館山、洲崎と海岸沿いを巡る。思ったよりもいい景色!最南端の野島崎で車を停め、灯台のところから太平洋を眺める。さすがに最南端だけあって沖にうっすらとハワイが見えた。(嘘)
鴨川、勝浦の辺りは白浜のためか、海がマリンブルーでとても美しく、海沿いの起伏のある切り通しの道をスイスイと走るのはなかなか愉快。
御宿あたりから曇ってきて、やる気がなくなる。景色も全然汚い。九十九里は最悪。単調で貧乏臭い風景が続く。まっすぐに道を作ればいいのに、妙にくねくねしていて、田舎親父の乗った軽トラみたいのがノロくて進路を塞いで邪魔。信号も結構多くて、だいたい50〜60キロで走るようにしていても、一時間に20キロくらいしか前に進まない。銚子まで行く計画だったが、時間がかかりすぎるしつまらないので途中で切り上げることにした。道路際に立ち並ぶ防砂林になぜか見覚えがあると思ったら、中学高校の時この辺に学校の研修寮があって、1年の夏休みに強制収監されたトラウマが残っていたのだ。それは林の中に立てられた太平洋戦争中の日系人の収容所を彷彿とさせる昭和40年代のバラック群で、近くには海水浴場が沢山あるというのに、なぜか寮の前だけ海流が複雑化していて危険につき海には入れず、せっかくの九十九里海岸に来たのに併設のプールで泳がさせられるという嫌がらせ、そして臭い飯には妙に酸っぱい味のカレーライス攻め、海に来て開放感を得た生活指導体育教師の体罰が熾烈を極めた実に辛い場所であった。で、走りながら横目でこの収容所を探してみたが、見つからず。(家に帰ってから、googleの衛星写真で探してみたが見つからず。あれほど大規模な収容所の証拠を跡形も無く抹消するとは、学校法人恐るべし)
八日市場、多古町、成田と通って帰路に着く。成田で間違えて東関道に乗ってしまい、仕方なく千葉北まで乗る。やっぱり高速は速い!120キロ〜140キロでビュンビュン爽快で、降りた千葉北インター付近で迷う。千葉市内は道路の仕組みが良く分からない。
帰ったら夜9時前。朝9時に出発したので、途中ご飯食べたりしたものの、ほぼ12時間も運転しっぱなしで疲れた。


病み上がり、東京、写真日和-3  (2006.10.20)


では。


病み上がり、東京、写真日和-2  (2006.10.19)


せめてケータイで・・・


病み上がり、東京、写真日和-1  (2006.10.18)


最近、写真の更新がパタリと止んでしまっているので、せめて・・・


謝罪会見に見る、日本人の気味悪さ  (2006.10.16)

「当社がご迷惑とご心配をおかけしており誠に申し訳ございません」
「監督不行届きによりお騒がせしており申し訳ございません」
企業が不祥事を起こしTVカメラの前で謝罪会見を行うとき、僕はいつも違和感を感じていた。頭を下げている方向が根本的にずれている、と感じるからだ。
加害者となった企業が頭を下げるべき相手、謝るべき相手は、その行為や過失によって実害を被った相手=被害者でしかるべきである。それがこの国ではなぜか『世間』に対して頭を下げている。被害・損害に対して責任があるわけで、迷惑・心配は本来の責任ではない。ましてや「騒がせたこと」に対して謝るのは不自然を通り越して、僕の頭の中に多くの?を誕生させる。
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しかしこの国では何故か、『世間』に対して一番に頭を下げることを求められ、おそらく企業の広報担当者もその体質を熟知しているからこそ、この種の奇妙な謝罪会見は続いているのだろう。
いわゆる銀行の破綻・不祥事などは、税金投入の問題も絡むから、「世間に対する罪」がないとはいえないが、とはいえそういうことを主張をする一般人が普段から自分の払った税金の使途を気にかけているかといえば、たいていのサラリーマンは源泉徴収制に浸っていて、去年自分が払った税金の額をちゃんと答えられる人は、多くはないだろう。
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なぜ今こんな話をするかというと、この謝罪体質に見られる『世間』という概念こそが、この国の考え方の根幹に根ざしていると思うからだ。それは僕に寒気を感じさせる。
寒気の記憶として僕の中で尾を引き続けているものに、2004年の『香田証生事件』がある。
「助けられない、仕方ない」と「死んで当然」は根本的に違うと思う。前者に対しては僕は同意するし、『自己責任』という当時の流行語には言葉本来の意味で反論の余地は無いと思う。後者の考えは、当時世間の一部に見られたし(しかし大多数ではなかった。大多数の人は無関心または意図的に「考えないよう」「忘れるよう」にしていた)、ネット上では特に「死んで当然」というよりむしろ「死んで欲しい」に近い考えを持つ者も少なくなかった。
なぜ、殺人事件の一被害者である香田君に対し、様々な感情的意見が見られたのかを考えるとき、やはりこの謝罪会見と同じメカニズムと『世間』の存在を考えざるを得ないのである。
香田君は確かに軽率であったが、その軽率さは『罪』ではなく『過失』として、自分の死という結果そのものにだけつながっている。これこそまさに『自己責任』あり、普通話はここで終わるはずである。彼は自分の死以外には何の責任も負わないからだ。
しかしこの国では、そこで終わらないエピソードがある。彼の『過失』はまるで『罪』であるかのよう、あたかも『世間』に対する加害者であるように扱われ、香田君の家族はテレビの前で『世間』に対して(間接的に)謝ることを求められた。「息子が大変なご迷惑をおかけし、お騒がせして申し訳ありません」と。-おそらくこの辺りが他国のメディアに「奇異」に見えた点なのだろう-
つまり香田君の『過失』は、『自己責任』ではなく、『世間』vs『非常識』という構図に投げ込まれた。『非常識』とは『世間』の外であり、ムラの外である。ムラの外の存在はムラへの加害者であり潜在的な敵である。ムラの外の者は「死んで当然」「死んで欲しい」存在として捉えられる。香田君は最後まで『個人』として扱われることなく殺されたのであった。


リストラオヤジはどこへ消えた?  (2006.10.15)

ここ数年あちらこちらで「慣習として長らく日本的雇用の特徴とされていた終身雇用、年功序列はここに来て完全に崩壊した」とか言われている。
そんなわけない。
先ほど、ウチの談話室の本棚で、1984年頃の日経の文庫本『ドキュメント・サラリーマン』を発掘。トイレでウ○コしながらパラパラ読む。
早速前書き出てくる次の言葉にハイ注目!
「しかし、年功序列・終身雇用を特徴とする(中略)日本的雇用形態は、いまや内と外から確実に崩れつつある。」
ん?これ20年以上前の本だよ?
まあ「崩れつつある」と「崩れた」の差があるにしても、1984年と2006年で言っていることがほとんど変わってない・・・日本的雇用形態は無くなったのだろうか?それは崩壊という幻想なんじゃないだろうか?そう強く思う。まあ、徐々に進んでいることはおそらく間違いないのだろうけど。


美味しいサンドウィッチ  (2006.10.14)

土曜日です。


朝からなんとなく頭が痛いなぁと思っていて、お昼にトマトソースのかかったハンバーグとソーセージとタルタルソースの載ったクリームコロッケを食べたら寒気がしてきて、そのうち気持ちが悪くなって全部を吐きました。吐いたらずいぶんと具合が良くなったので、薬を飲んで眠りました。


眼が覚めたら外はもう暗くなっていて、もう一度薬を飲んで煙草を吸っていると、なぜか突然サンドウィッチが食べたくなりました。それも、BLTのような豪華アメリカ式の厚い肉や卵や野菜が沢山のやつではなく、白い耳なしパンに薄くバターと芥子を塗り、薄いプレスハムを一枚かキュウリだけを挟んだようなシンプルなやつをです。それを包丁で三角形や長方形に切り、白い皿に折った紙を敷いた上に綺麗に並べて、当然つけあわせはポテトなどではなく、良く茂ったパセリが一房だけ香って(ピクルスなどあっても悪くないですが)、ストレートの紅茶か何かを飲みながら、積み木のように並んだサンドウィッチをはじからパクパクと食べていきたい。


どうやらそんな気分です。


フイルムと現像  (2006.10.13)

『オランダの光(Dutch Light)』のDVDを借りてまた観る。2回目なので特典メイキングをつぶさに見てみると、そこで監督が面白いことを言っていた。
「まずハイビジョンビデオを検討したが、風景のコントラストが強すぎて使えないことが分かった。次にコダックとフジのフイルムを試してみる。面白いことにコダックを使うと色彩が豊かで、ハリウッド映画の風景のように実際よりも明るく陽気に見えた。フジのフイルムは現実を忠実に再現しており、空気中の湿気がもたらす柔らかな感触を再現できていると感じた。現像もコダック、フジ、アグファを試してみたが、アグファが最もバランスが取れていたので、結局フジで撮りアグファで現像することになった。」
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コダックで撮り、コダック現像が一番良いと考えていた自分にとっては目からウロコな話だった。


アフォ粛清の嵐  (2006.10.03)

ナンカ、ウチのBBSガ、独裁者スターリンにアラサレテマス。BBSのアイコンにスターリンを(岡田真澄も)用意シテイタ僕モ僕デスガ、テロリスト達もナカナカ、オツなセレクトデスネ。


スパムのリンク先ハ、アフォリエイトのモヨウ。クリックシタラ、テロリストに入金サレルノデ、押さナイヨウ気をツケテ下サイ。


余談デスガ、「アフォリエイト」ッテ、アホっぽいナマエデスね。
「しゃぶしゃぶ」も頭悪ソーナ料理名デスネ。


千葉は全然ダメ  (2006.10.02)

日曜日は、電車で千葉市へ。
本来なら東京に行きたいところだが、電車賃節約もあって千葉で済む買い物は千葉でと思ってのこと。


で、第一の調達品は癌の素。現在吸っているタバコは、自販機やコンビニでは絶対売っていないし、近所のおばあちゃんがやっているようなタバコ屋でもまず見かけない。そこで月2回程の上京の際に、銀座の菊水で1カートンずつ調達していたが、8月に千葉そごうの裏にタバコ屋で発見したので、行ってみる。日曜休業の看板。仕方なくヨドバシなんかを冷やかしながら、中心街を他3軒程まわってみるものの、全部日曜休業の看板が・・・。この土地のタバコ屋ってのは日曜休むのが慣例なのか?年中無休の銀座菊水とはやっぱり違うものだな。家には残り1パックしかない。こうして補給線は断たれたわけだ。仕方ないので、次回東京に行くときまでプチ禁煙を開始。それにしても2週間はキツイかも。


次は本。雑誌や本を数冊ずつ買いたかったので、どうやらこの街で一番大きいと思われるそごうのテナントに行き、タッチパネル検索をする。どれもこれも、「在庫なし」の回答。うーん。そんなに希少な本を探しているのではないのだが。市内をまわるが、あるのは中規模の本屋か、地下街にあるような本屋ばかり。中でもパルコに入っている「解造社」とかいう本屋はすごすぎ。潰れかけた地方都市の本屋みたい。パルコの癖にオサレ系の本がなく、アイドル写真集が多い気が。「解造社」って名前は反体制、カウンターカルチャーっぽくてパルコらしいけど。なんだか蟹工船みたいな名前だ。あと、千葉はスタバがやけに多い(いまさら感)。駅前広場からパルコまでの区画に、3軒くらい見た。


結局何も買えずに、とぼとぼ帰宅。雨。傘もないのに千葉から本千葉まで高架下を歩いてみる。さらに蘇我まで歩いてみる。1時間以上かかる。何やってんだ俺は。


タバコは注文すればどの店でも取り寄せてもらえることが判明。近所の店のおばあちゃん(推定83)に頼んだので、発注忘れてないかもっか不安。


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