2006年03月
愛の流刑地  (2006.03.31)

ここに来てはや4日目になります。昨日おとといと、風が強くて寒い日が続きましたが、今日はポカポカ日差しであったかいので、つい二度寝をしてしまいました。
今こうしてキーボードに向かっている目の前の窓から、淡色の空と太陽が見え、そこを羽田の34番滑走路に降りるジェット機が飛んでいきます。
昨夜夕飯を食べていたら、おそらく単身赴任で来ている中年の方が「島流しみたいなもんだ、ここは」と言っているのが聞こえました。そうかもしれません。そして僕はそんな「島流し」を自ら選んだのかもしれません。


セルリアンブルー  (2006.03.28)


まだ、眠い。


七尾サマサマ  (2006.03.25)

有楽町に行ったので、帝劇ビルにあるナナオのショールームに行ってお兄様から説明を受ける。今使っているPCは、性能もしょぼいし(Adobe Creative Suiteがインストール拒否なさる程)、それ以上に液晶モニターがヘボなので、本気で買い替えを考える。

結論・・・いいものは高い。
(1)良いモニターは21インチのが18万円。
(2)少し劣るモニターは24インチワイドが同じく18万円、20インチなら13万円。
その他、お兄様に説明受けている間、横においてある二台のカラーエッジシリーズが気になりまくり。液晶にフードがついてるタイプ。参考上代は、AdobeRGB色域に対応した高いほうが60万円〜、安いほうが30万円〜とのこと。ほ、欲しい。
ちなみにそいつらは基本的に代理店販売のみで、小売は銀座にある一店でしかしてないとのこと。
たぶん18万円のを買います。近く。いや、いつか。


  (2006.03.24)

最近見る夢は意味不明すぎ!
昨夜はこんな感じでした。

出社すると、なんだか会社のビルがデカくなっていて、ビルの中央に6階分くらいの吹き抜けがドカンと。会議室に行くと、社長が二人出てきて、一人は普通の人だが、もう一人がオレンジのスーツを来た関西人で意味不明のボケを連発する人。周囲の人はヨイショして笑っているが、僕はひとりあきれ顔をして、早速社長に目をつけられた。将来は暗い。
その後、先輩と昼飯に行くが食堂が遠い。ビルから出て、沼地みたいなところを抜けた先にある屋台群が食堂。僕はチキン系の丼物を食べたようだ。
夕方、バスに乗って帰るが、車内でバイトの女子(推定二十歳)にからまれ、スナックみたいなキャバクラへ連れ込まれる。その女子は夜はその店のNO.1ホステスで、源氏名は「カリマロ」
その後バイト女子がもうひとり登場し、飲む。
カリマロは言う「アタイはこの近所のラーメン屋の娘、この子はちょっと先の飲み屋の娘。そんなものよ」と。

夜が明けた。


夢淡き東京  (2006.03.23)

今朝はおかしな夢がオムニバス形式だった。いつもながらあまりよく覚えていないのだが、1本だけとても印象に残った夢があって、それは、
タモリが会話の中で「・・・下呂温泉ですけど〜」ってセリフを言う。次に関根勤が出てきて、「下呂温泉って、下品な名前だからさ、語尾は丁寧語じゃない方がいいよ。下呂温泉だよね〜」とタモリに提案する。すぐにタモリがニヤニヤ笑いながら、「下呂温泉だよね〜」と復唱する。
それだけの夢でした。僅か20秒くらいの夢。


ノックしに来ないで  (2006.03.13)

『Don't Come Knocking』(Wim Wenders)ようやく観た。邦題が『アメリカ,家族のいる風景』という変な名前になっているので、チケット買うのが恥ずかしく、仕方ないので「アメリカください!」って言った。でも、なんでこんな邦題にしたんだろう。映画の内容的にぴったりなのは原題なんですけど(あたりまえか)、まぁ確かに『ノックしに来ないで』なんて直訳タイトルじゃ、誰も観に行かないか。
【感想】
普通にいい映画だと思った。ストーリーも好きだし、キャスティングも上々。間のカットをはじめ、映像は美しいだけでなく、やさしい安定感があります。スカイ(サラ・ポーリー)のダサい服の色(タンジェリン色のチョッキ)と、脇に抱えたスカイブルーの骨壷のコントラストが凄い。荒野の赤茶と空の対比をかなり意識しているんだろうな。音楽は相変わらずです。

今回、全体的にコントみたいなシーンが多いのはなんなんだろう? ティム・ロスの「ポテトの違い」に関するセリフにはじまって、撮影現場にジンジャー乗っている奴がいるし、アールの彼女はかなりのバカ女だし。映画中でもっとも重要なシーンの一つ、壊れたソファーに座って夜を明かすシーンでも、宇宙船みたいなギラギラの車が通りかかって助手席の窓からシベリアンハスキーが「ハァハァ」舌だしてカメラ目線だし。
あと、ティム・ロスは最近見ないうちに老けた。ますます神経質そうな顔だ。


吉祥豊橋パワースポット  (2006.03.12)

銀座プランタンそばのウェンディーズは、昔から僕にとってパワースポットになっている。とりわけガラス張りで道路からよく見える角地のカウンター2席は凄まじく鬼門となっていて、僕がそこに座っていても、反対に僕がたまたま道を通りかかっても、高頻度で知人に遭遇してしまう気配がある。
今日も銀座に行き、その席のすぐそばで腹ごしらえをしていると、しばらくして最近付き合いのできた知人が2人連れでやってきて、そのカウンター席に座ったのでびっくりしてしまった。まったくもって不思議なスポットなのである。
こういう風に、別にメジャーな場所というわけでもないのに、変にパワーが出ていたり、縁を結びつける地点というのが、誰にとってもあるんじゃないかと思っている。
僕の場合、銀座ウェンディーズ以外では豊橋と吉祥寺がそうだ。
【吉祥寺】中央線にしてはやや希薄なアングラ感と、井の頭線を伝ってきた渋谷パルコ文化が合流する街。カップルが井の頭公園でボートを漕いだり、ジブリ美術館へ行ったり、宵には駅東のホテルへシケこんだり、そんな明るい男女交際タウン吉祥寺は、僕の性格からして出来れば避けて通りたい場所なのではあるが、なぜだか昔から縁がある。知る人知る人、吉祥寺というキーワードが頻繁に絡んでいて、吉祥寺に住んでいる人も多かったし、吉祥寺の大学に通ってる人も多かった。吉祥寺の大学と言えば、成蹊とか杏林だけど、大学の時も成蹊と杏林に知り合いが多かったし、以前上司も成蹊出身だった。また僕の周りの女子には、吉祥女子という学校の出身者もやけに多くて、少なくとも5人も知っている。よっぽど人数の多い女子高なんだろうか。
【豊橋】愛知県第二の都市。子供の頃、父親が単身赴任していた関係で、わりと頻繁に遊びに行くことがあったのだが、僕自身もその後会社の関係で豊橋に半月住むことになった。そもそも僕の名字(かなり珍しい名字)は豊橋に集中して多く、先祖は豊橋に由来するというのだから驚きだ。また、現在でも友達に豊橋出身の人が数人いるし、ネットで知った知人にも豊橋市民の割合が高い。そんなわけで僕が望む望まずに関わらず、豊橋の最新情報が流れ込んでくるのであった。


チーム青森、最高!  (2006.03.11)

トリノ五輪のカーリング女子日本代表こと『チーム青森』が中学2年生のチームに敗北。
素晴らしい!
いや、ちっとも素晴らしくはないのだけど、これでカーリング人気にますます拍車がかかることだけは間違いなし。今回、素人同然のチームに負けたことで『チーム青森』のカワイサがさらに40倍程増加したと思われる。スキップ小野寺の泣き顔に、どうしようもない位の恥じらいの表情が。ホント、素敵すぎ。


プロ出場がOKになって以降、各競技とも素人がまるで手を出せないレベルになっていたオリンピックに、新たな活力と希望を与えた『チーム青森』に拍手!


弥生ドリームランド  (2006.03.10)

東京のはずれにある寂れた町の、寂れた不動産屋に道順を教えてもらい、僕はその物件までとぼとぼと歩く。人気のない町中には砂埃が舞い上っていて、町のさらにはずれに、その建物は立っている。トタンの張られた低層のその建物から道路をはさんだすぐ隣は、湿った砂漠か、あるいは冬の畑なのだろうか、単調な土色の空間が続いている。
建物に入ると木でできたハシゴがあって、登ると屋根裏部屋のような狭い空間になっている。間取りといえば6畳といったところだろうか。床も壁も天井も廃材から作ったような粗末な板がむき出しになっている。荷物や家具の類は何も置いてない単なる空き家である。
「せっかく来たというのに」
友達の家を訪ねて来ている。それなのに友達は不在なばかりか、ここには人が住んでいる気配さえない。
部屋の中を見回すと、さらに上へと続くハシゴがあり、僕はそれを登ってみる。そこが本当の屋根裏部屋で、広さは下の階とだいたい同じか、若干狭いようにも見える。変わっているのは、巨大で平べったい箱が置かれていて、それが床のほとんどを占領している。少しして分かったことは、クリーム色をしたそれは、箱ではなく、できる限り無味乾燥に作ったダクトなのである。試しに下の階に戻って見てみると、天井の隅に四角い穴があいていて、そこから温風が吹き出している。それは暖房装置の一種のようだ。
そのときちょうど友達が帰ってくる。
玄関口で「こっちこっち」と僕を呼ぶ。
僕は彼の後をついていき、外へ出る。
建物から出ると、そこは先ほどの寂れた町ではなく、高層ビルのエレベーターホール前である。スリット上の窓からは、遥か下の都会が見える。ホールは3階分くらいある吹き抜けで、僕が最初に間違って入った家は、ホールの片隅にデンと立っている。ホールと区切ることなく、ソファーや豊かな調度品が置かれている。床はチェスボードのように、白と黒のタイルが交互に敷かれている。この階全部が友達の住処なのだ。
「家賃、高いでしょ」僕は聞く。
「そう負担でもないよ」と彼は言う。
僕は窓を覗き込み、眼下に広がる都会を見る。ひたひたと雨が降っている。

【記憶がとぶ】

夕方、そして夜のこと。僕は調布駅の近くの河川敷で、停泊している小型のモーターボートの操縦席に座って、考えごとをしながら時間が来るのを待っている。腕時計に目をやる。いつの間にか朝が来る。
僕は曇天の下、川沿いの道を駅に向かって歩く。
通勤中の様々な年代の男女の群に、ふと彼女を見つける。
僕には気づいていない。走っていって、ホームへと下りる階段の上から、彼女の名前を呼ぶ。彼女はまさに階段を下りきろうとしている。彼女は振り向かない。自分が呼ばれていることに気づかないのだ。もう一度、僕は名前を呼んでみる。そして、繰り返し何度も名前を呼んでみる。名前を呼ぶ度に、規則的に階段を下りる彼女の動作が、ぎこちなくなるのが分かる。彼女は、気づいている。自分の名前が呼ばれていることも、呼んでいるのが僕であることも。そして気づいていて、あえて振り向かないのだ。あきらめて僕が名前を呼ぶのをやめると、彼女は一瞬立ち止まり、そしてすぐにホームへと消えていった。
その時、彼女の横顔が少し見えた。


海のムコウへ  (2006.03.01)

昨日、東京湾アクアラインを超えて反対側まで行った。バスはガラガラだったので、運転手のすぐ後ろの席に座り、流れ行く景色を見る。トンネル、トンネル、海の下を走るトンネル。僕はどこへ向かっているのだろう。そしてやがてトンネルは終わり、海ほたるを抜け、まっすぐな海上道路の先には、木更津の煙突が見え、房総の山が見える。僕はどこへ行くのだろう。だんだんと近づいてきてやがて後方の彼方に消えていく風景の絶え間なさ、それをアリーナ席で見つめながら、僕は困惑していた。なぜならその時、一種の符号を感じ取ってしまったからだった。人生と高速道路。まるで人生は、まだ見ぬ土地へと続く高速道路をバスに乗って走っているようで、予期していない風景が突然あらわれ、自分を通過し、やがて後方へと去っていく。後ろを振り返ることなんてあまりしない、前方からどんどんやってくる次なる風景に対応することに必死なあまり。
もし僕が乗用車で、アクアラインを渡っていたなら、こんな符号は感じなかっただろう。それは自分の意思で運転しているからだ。しかしバスに乗れば思惑とは無関係に自分は運ばれていく。人生も同じだろう。僕は自ら選んで生きてきたのだろうか。いや、周囲の状況に選ばされてきたことを気づいていないだけなのだ。全ては必然性の中にあって、僕が人生で向かう場所は、このバスのようにはじめから予定されているのかもしれない。人生の最終地点を象徴するかのように、僕の降りた『袖ヶ浦バスターミナル』は寂しい、記憶のない場所であった。

・『NANA』を見た。宮崎あおいの可愛さ以外に注目すべき点は、見つからない気がする。でもあれがハタチでいいのか!?
・小学生の時クラスで一番秀才だった子は、司法試験に合格し、弁護士のかけだしをしている。先日近所のコンビニで見かけたが、『少年ジャンプ』を立ち読みしていた。いいのか、『先生』がジャンプなんて読んでて!


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