2006年01月
19歳の孤独なハッピイエンド  (2006.01.30)

願いがかなうなら、もう一度19歳になりたい。
けっして戻れないからこそ、戻りたいと思う。
僕はその夢を見るために、今夜眠りについた。

僕は浪人生で、予備校に通いながら恋をしている。
夏季講習をきっかけに、僕らはお互いにとってかけがいのない存在となる。彼女(とりあえずここではヨウコと呼ぶ)は横浜の生まれで、父親は医院を経営していて、彼女は医学部を目指して浪人している。
吉祥寺にあるヨウコの下宿は1DKで、家具があまりなく、大きい方の部屋には21インチのTVが1セットだけ置かれていて、ビデオデッキにはいつも【天空の城ラピュタ】がささっている。
週にきまって3回、火木土と、僕は武蔵境にある自分の下宿から、その部屋へ通う。部屋に入ると僕はいつも2人分コーヒーを作る。11月の突風に、窓ガラスは唸り、アルミサッシは軋む。そのどこか人工的で苦しい音は、武蔵野と僕とヨウコと僕らの間に、結局春をもたらさなかった。

大学入試も終わり、ヨウコは医学部に、僕は同じ大学の法学部に決まり、入学まであとひと月という頃、ヨウコはいなくなった。その日僕はいつもどおり、ヨウコの部屋のドアノブをひねる。鍵はかかっていなかった。部屋はいつものままで、柔らかい日差しが、かけたばかりのワックスの匂いがするフローリングを包んでいた。土曜日のことだった。
家族にも、友達にも、ヨウコの行方は分からなかった。
木曜日の午後、僕はもう一度ヨウコの部屋へ行き、床の上に体育座りをして、【天空の城ラピュタ】のビデオをみた。途中、コーヒーを1人分だけ作り、台所に立ったまま泣いた。もういないはずのヨウコに聞かれるような気がして、声を出さずに僕は泣いた。たしかそれは3月最後の木曜日だったと思う。

それから6年が過ぎたが、ヨウコはまだ戻らない。
日々の仕事に追われながらも、週にきまって3回、火木土と、僕は彼女を思い出す。そして必ず深い喪失感を感じ、僕が本当の僕で無いような、そんな感覚を覚える。
僕は19歳の頃、吉祥寺の1DKのあの部屋に、フローリングの陽だまり上に、僕自身を置いてきてしまった。

注:一部の設定を除き、本稿はフィクションです。


ワンダーランドの結末  (2006.01.29)

310000本部のある町から国鉄の線路を越えた地区は、昔大きな工場があって、多くの人が働いていた。その後工場は地方だか海外だかに移転してしまったので、僕が生まれる頃には一面の空き地になっていた。
子供の頃、よくそこで遊んだ。まだ風の冷たい春の日に、若草の匂いにつつまれて、地味に輝く太陽を半袖の肌に感じながら、空き地で遊んだ。空き地はとても広く、長い間手入れもされず伸びきったペンペン草の向こうに、東京の町が見えた。そのとき僕ははじめて東京を意識したのかもしれない。
東京は島だった。永遠の草っ原の彼岸に浮かぶ人工の島だった。

学校に通うようになると、町の反対側にあるそんな空き地のことはしばらく忘れていたが、中学に入ってマンションに引っ越した時、ベランダからは空き地に次々に工事車両が入っていくのが見えた。今から10年程前のことだ。

今そこには空き地はなく、100mを越す超高層マンションやショッピングモールが林立する都市になった。いまだ僅かに残る空き地に、さらにマンションを増やそうと、デベロッパー達が凌ぎを削っている。
310000本部にも、マンションのチラシがよく届く。今売り出し中のマンションは、【東京新大陸】という名前で、CGを使った航空写真には、一面雲に覆われた東京の街に、新宿新都心や六本木ヒルズ、そして【東京新大陸】が浮かび上がっている。まるで島のように。

空き地のそばに忘れられた町があった。小津映画に登場し、近年では泉麻人氏によって何度と紹介された町だった。もともと東京の発展から取り残されたような町だったが、以前は商店街などもそれなりに賑わっていた。数年前に見に行った時には、取り壊される寸前で、人気もなく、あちこちが空き地になろうとしていた。
今そこに、例の【東京新大陸】ができる。それは別に構わない。
でも、名前は【東京番外地】の方が良かったと思う。


小菅ヒルズのホリエモン  (2006.01.25)

日が暮れてから浜松町駅を降り、ふと西の方を見る。
真冬の澄んだ夜空を橙色に照らす東京タワー、そして奥には凍えるようにして森タワーが鈍い蛍光灯色を放っている。

一昨日前。
【ニュース速報 ライブドア家宅捜索】
黒ずくめのスーツを着て頭にテカテカ油を塗った特捜部の男達が、首をすくめて早足で森タワーに入っていく。どうせなら閉鎖中の回転ドアを超高速回転させて入口を防御すれば、その間に証拠を隠滅できたかもしれない、と以前ドアに挟まれて亡くなった子供に不謹慎なことまで考えていると、突然テレビカメラがパースの歪んだ森タワーをアオる。歪んで見えるのは広角レンズのせいなのか、それとも視聴者の心理に由来するのか、あるいは耐震偽装でビル自体がもともと歪んでいるのか、それは果たしてわからない。
それは実に未来的な映像だった。もし特捜部がリフレクターでもしていれば、もはや子供の頃見た近未来SFとたいして変わらない。

こうして数々の歴史が示す如く、バベルの塔は一夜にして崩壊した。

そして今夜、夕食を食べテレビをつけると、
【NHKはこう変わります】なんて番組をわざわざ一時間かけてやっていた。ご丁寧に女副会長まで出てきて、妙に口調は柔らかいものの、テロップまで表示して言ったことは「受信料払わないと民事執行も辞さない」という脅し文句。全国4000万世帯に向けての脅迫状の一斉送信。公共放送の皮をかぶった893?こちらもなんだか近未来的だ。既得権益は日本の社会の伝統芸としても、電波を使って脅迫する所は当世風。結局NHKも、「金がすべてです」と言い切るホリエモンと同じ穴のムジナなのか。
(写真は本文と一切関係ありません)


いい夢旅気分2  (2006.01.21)

最近は重い話が続いたし、ミクシイにも掲載を始めてから、重い話には必ずといってコメントがいっぱい付くので、今日は東京に雪も降ったことだし、全然違う話にしよう。

今に始まった事ではないが、最近よく夢を見る。怖い夢も多い。おとといは、タンカーに潜入したら船長に見つかって追いかけられて、船をよじ登って逃げる夢だった。
その前の晩は、暗い山道で懐中電灯を一本ずつ持って歩いていた。一緒に歩くのは小学生時代の友達だった。僕らはお互い無言でひたすら歩き、電池が切れかけたので途中で町に立ち寄った。そこは山あいの崖に寄りかかったような小さな集落だったが、同時になぜか大阪でもあった。というより一応設定では大阪郊外あたりらしい。集落の入り口にラーメン屋と電器屋が並んでいて、電池を買おうとしたが割高なのでやめて、安い店を探しに坂を登った。真夜中なのでたいてい店も閉まっている。坂の上の方にKodakのDPEが見えた。閉まっていた。坂を登りきったあたりで、左側にマツモトキヨシがあった。しかしそこは店の裏側らしい。僕は通用口らしきドアのノブをひねり、中に入った。中には囲炉裏があって、二人の人間に出会った。その先が思い出せない。
昨日は久々に悪くない夢だった。
310000と相互リンクしているサイトのWさんが、結婚する話。相手は誰だか分からないけど、たまたま僕は花の咲いた春の公園を歩いていて、Wさんと会った。とても幸せそうにしてた。で、Wさんが最近撮った写真を何枚か見せてくれて、それがとてもいい写真で驚いた。日が傾きはじめ世界が黄金色に染まっていった。よかったね!と僕は喜んだ。その世界には苦悩も不幸も無いようだった。


見えない暴力  (2006.01.17)

宮崎勤が死刑確定した。
「良いことをしたと思います。」と被告。
それを聞いて思う、良いとか悪いって一体どんな基準なんだ?
被告は17年前4人の幼女を殺害した。そして世は彼に「重罪」の判定を下した。一方で、半世紀前に中国や朝鮮で大勢の人間を殺した兵隊達が、何の咎めを受けることもなく、戦後普通に生活をして、会社に勤めたり、孫を可愛がったり、そういうことをしてきた。僕らの近所にも、今も年金を貰って暮らしているかつての殺人者達がいるのかもしれない。でも、もちろん彼らを責める気にはならない。生きるか死ぬかの境地で良心の呵責に耐えながらやったことだろうとは思う。逆に宮崎勤のした事を認める気にも当然ならないが。
子供に「どうして人を殺してはいけないの?」と聞かれたら、僕はなんと答えればいいだろうか。少なくとも、「命は大事だから」というのはあまりに無責任だ。もし殺人を「生命」に対する罪や、あるいは「人道」に対する罪だとするなら、戦場での大量殺人こそ宮崎勤以上に裁かれねばならないからだ。
宮崎勤やオウムが裁かれて、戦争犯罪が無罪になるのは、殺人罪が「生命」に対する罪などではなく、「社会規範」に対する侵害という共通認識があるからなのだろう。戦場では敵はあくまで敵であり、我々が守ろうとする「社会規範」の外部の存在であるゆえ、殺人が罪とはみなされないのだ。
いわゆる良心や善悪ほどいい加減なものないと思う。バルサンでゴキブリを殺しても良心が痛まないのと同様、ガス室でユダヤ人も殺せるわけだ。人間に必要なのは、良心でも正義感でもなく、想像力を失わないこと、そしていかに自分が生き、極限的状態においていかに行動すべきかという個人的規範を確立することではないか、と思う。そして僕ら個人個人の間に横たわる壁、つまり個々の認識に対する差異の絶望性と想像力の限界について意識を張り巡らすことも重要ではないかと思われる。そして、壁を認識しないことが、本当の意味での「暴力」だと僕は思う。


蛇足的な話だが、ローマでジプシー親子のスリにあった。サイフの入っていたポケットに手を入れられたが、かろうじて追い払った。その日のよる同じ宿に泊まっていた同年齢の日本人にこの話をすると、「やっぱり食うに困っても悪い事はいけないですよね」との感想。
「悪い事」ってなんですか?地球の反対側まで簡単に行って旨いものを食う僕らが、食うに困ったことのない日本人が、スリを生業にしないと餓死してしまう世界にいて、そしてその境遇から決して抜け出せない人々に、僕らの基準で「悪い事」って言うこと。それこそ立場の違いを利用した「暴力」以外の何物でもない。そう思った。


ラマダンのあとの酢豚はうまい  (2006.01.15)

と、いきなり室井佑月風のタイトルで恐縮だが、
僕が今日ここで書きたいことは、豚を食べることを禁止されているイスラム教徒でさえも、断食の後には酢豚をペロリと平らげてしまうほど、「空腹」とは絶妙の調味料である。
・・・といったことでもなく、世間的には日曜日の今日、僕はお昼を食べずにいささか頭を使う作業をしていて、夕方にSバーミヤンで酢豚定食を食べたところ、わずか690円のそれが、スンニ派でさえ涙を流すほど美味しかった、ということである。
酢豚をめぐっては、長らくパイナップル肯定派と否定派の間で、血のにじむような抗争が繰り広げられてきたことはご存知の通りである。今日僕はその無益な抗争の終了をここに提案する。
・パイナップルが入っていても、
・パイナップルが入っていなくても、
・デートで行った横浜中華街で食べても、
・ときには餃子の王将で食べても、
・帰宅したら、新婚妻が「おかえりなさい、お風呂が先?酢豚が先?それともア・タ・シ?」と聞いてきても、
・あるいは四畳半で一人寂しく自分で作って食べてみても、
それでも酢豚はおいしいのだ。僕もパイナップル論争には力を注いできた方なのだが、そんな瑣末な問題に目を向ける一方、酢豚の純然たるおいしさを忘れていたのではないか。
実を言うと数年前、僕は『東京B級酢豚ガイド』というサイトを構想した。結局それは軌道には乗らなかったが、その残滓が現在の『310000-トウキョウソラ区』に繋がっている。そんなことを回顧しつつ、いつのまにか僕の中で失われてしまった酢豚へのまっすぐな想いを懐かしむ。人生は立ち止まる事も、後ろに戻る事もできない。ただ前へ前へと進むしかないのだ。
だからこそ僕はこれからもいっそう酢豚を食べ続けるのだ。


近況とか抱負とかをだらだらと書く  (2006.01.12)

なんで1月7日に急に香田証生君の事を書きたくなったのか、全然分からないのだが、たぶん年末に「倖田來未」という言葉をいっぱいテレビとかで耳にしたのとかが、関係しているのかもしれない、っぽい。
昨夜、いとこの女の子がサメに詳しいという夢を見た。「サメマスター」みたいな資格をとっていた。遊びに行ったら大きなホオジロザメの絵が飾ってあった。
なぜかやる気減退中なので、ちゃんとしたコラムっぽい文を書く気にもなれず、今年の抱負とか、目標とか行きます。

[自分に向いた職]
お金よりも適性ある仕事を。
[本とか映画]
ロシア系の作家をもっと読む。『太陽にほえろ』を全部観る。
考えをメモしたり、まとめる。
[英語をもう少し]
年末にTOEIC受けてみた。800点いかず、ちょいと不満。今年中にできれば900、最低860くらいまでは。
[写真]
もっと、上手にとる。ちゃんとPhotoshop買う(今は体験版)。
[写真(中期計画)]
GR DIGITALとか買って、フイルムを引退する。
しっかりしたモニターと速いPCを買って、ポストプロダクションをシステム化する。
[世界一周(長期計画)]
世界一周は一生のうちに一回は経験したいのですが、時間(1〜2年)とお金(150万<)もかかる。さて、僕はいつ世界一周旅行に出発すべきか?
1.今すぐ・・・時間はあるが金がない
2.数年働いてから・・・再就職はどうするか?
3.定年後・・・いつのことやら
できれば20代のうちにと思っているので、たぶん2になると思う。僕の場合は普段から浪費癖があるようなので(自分では気づかない)、たぶん1年間旅行で200万以上は絶対に必要だと思う。


まあ、こんな感じです。


イラク回顧録  (2006.01.07)

土曜の朝に目が覚めるとふと、1年と少し前イラクで首を斬られた香田証生君のことを思い出した。「ごめんなさい、また日本に帰りたいです。」という彼の最後の言葉、そしてあの時の日本社会の、香田君に対する冷酷な態度がいつまでも記憶から離れない。「彼はわざわざ危険な場所へ行った馬鹿者であって、自分達はそうではない。」メディアや多くの日本人の態度からは、そんな奢りが感じられた。本当に香田君と我々の間に愚かさの差なんてあったのだろうか。
香田君はたまたまあの場所にいて誘拐されただけであって、我々その他日本人はたまたまそこにいなかった、それだけのことじゃないのか。もし僕が香田君の代わりに香田家に生まれて、同じような環境の中で同じような人生を歩んできたとしたとき、絶対にイラクへ行かなかったという保証はない。(行く保証ももちろんないが。)人間の行動や価値観なんて置かれた立場や境遇から全くもって自由なわけではないのだから、もしかすれば僕が首を斬られていたかもしれない。

世間はもうこの事件を忘れてしまっただろうか。
僕は忘れない、とくに死を覚悟した人間が吐露した、本心からの愛国心と故郷への想いについては。
香田君の言葉を思い返すこともなく、今後もオリンピックだワールドカップだと騒ぎ、日の丸を掲げて君が代を歌い、愛国心を偽装するのだろうか。そこに見え隠れするのは、日の丸の仮面をかぶった我々の醜い虚栄心だけじゃないか。
とっくに日本が自分を見捨てているというのに、彼はこう言ったのだった。
「また日本に帰りたいです。」
僕はこの言葉を永久に忘れないと思うし、忘れられないと思う。斬られたのは香田君の首だけではなく、我々日本人全員の首だったのだから。


上野イスタンブル物語  (2006.01.06)

地平線に日が沈み、常磐線が日暮里を過ぎて上野に着くまでの5分間は、僕の至福のひとときだ。なぜなら鶯谷ラブホ群の放つネオンの光を車窓いっぱいに堪能できるからだ。この車窓こそが広大な東京でも唯一ここでしか味わえない独特のものなのだ。こういうと「西武新宿に着く寸前の大久保あたりもそうじゃないか」と反論する向きもあるかもしれない。しかし考えて欲しい、大久保〜新宿の車窓に見える広東文字とハングル文字に象徴される地帯は、あくまで東アジアであり、そこで我々はカジュアルで日常の延長程度な別世界しか感じられないではないか。それに比べたら鶯谷の車窓は、もっと遠い世界、トルコやトルクメニスタン、はてはルーマニアあたりを彷彿とさせるエキゾチズムなのだ。
ほら見よ、あそこにホテル『エーゲ海』のネオンが見えるじゃないか。
そうさここはイスタンブル、東京とそれ以外の、そしてヨーロッパとアジアの、境目なのだ。
もし君が上野行きの寝台列車に乗ったと仮定しよう。列車が田端あたりから減速し、ゆるゆるとしたスピードで窓ガラスに下世話なネオンを映しながら、上野駅の地上ホームに入線していく雰囲気ときたら、まるでブリュッセル北駅かアムステルダム中央駅を思わせる、見事な異国情緒じゃないか。
アムステルダム中央駅は東京駅の赤レンガ駅舎のモデルになった駅だが、雰囲気そのものはどちらかといえば上野駅に近い。構内の薄暗い感じはかつての上野駅そのものだし、駅全体が改修工事中だが、各所に掲げられた改修後のイラストには、まるでアトレ上野みたいな姿が描かれていた。
そしてそれ以上に、駅前に広がる街の趣きや人々の服装が実に上野っぽいのだ。「東京でアムスに一番似ている街は?」と聞かれたら、即座に上野!と僕は答えるだろう。特に若い女子のファッションにその傾向は顕著で、デニムに茶か黒系のロングブーツという数年前から特に上野でよく見るスタイルが今アムスでは大流行で、「そんなのは新宿や渋谷でもどこにでもいる」との指摘ももっともだが、細部が、その女子らの上半身のジャケットのヨレ具合とか、マフラーの巻き方一つとってみても、とんでもなく上野っぽさに溢れているのだ。駅から出て市電の乗りかたが分からなかった僕は、切符を買っていた二人組の女子(推定19歳)に声をかけたのだが、この際に感じたのはデジャヴー以外の何モノでもなかった。あたかも自分が広小路口にいて、我孫子から常磐線で来た女子に、あるいは快速アーバンで深谷から来た女子に道を聞いているような、そんな感覚に襲われたのだった。

せっかくなので、上野駅話をもうちょっと。
以前誰かが「東京は出発する駅、上野は到着する駅」と上手いことを言っていたのを思い出した。確かに上野駅に旅立ちの明るさはなく、出征、出稼ぎ、集団就職など、到着するイメージが強い。出発は、クニに帰るときだけだ。そんな背景には、近代日本が東北を搾取してきた姿が垣間見える。20世紀に日本が経験した戦争の度に、東北の農村からは人が狩り出されたのだった。戦後には金の卵と呼ばれた若者が、上京して酷使された現実がある。上野駅はそんな悲劇の人々の汗と涙の染みこんだ、深い皺のある顔をしているのだ。


ロスト・イン・エロイミグレーション  (2006.01.04)

3夜連続古畑見ようと思う。

さて、しつこいようですがまた旅行の話。今回はオランダのイミグレでのエピソード。スキポール空港の入国審査官(以下"審")は、見るからに遊んでいそうな30歳前後の若い男だった。
僕、パスポートを渡す。
審「What's your purpose of the visit?」
僕「Sightseeing」
審「Which city? How many nights are you going to stay?」
僕「Amsterdam, plan to stay 3 or 4 nights, maybe.」
審「Amsterdam? ... Which part of the city? RIGHT or LEFT?」
僕「RIGHT or LEFT???...well...what do you mean?」
審「Which part are you interested in?」
僕「This is my first time here, Holland. So I'll see the everything, you know.」
審「You mean BOTH!?」
僕「???...well...yeah, kind of...」
審「Have a joy!」
僕「I'd like to, Thanks.」
というようなやりとりだった。RIGHT or LEFTと聞かれたあたりから何を聞かれているのかよく理解できなかったのだが、早速1時間後にLEFTの意味が分かった。アムス中央駅を降りて左側は合法売春で世界的に知られた飾り窓地帯であった。一方、RIGHTの意味は数日後パリで知ることになった。モンマルトルの宿で会ったコロンビア人にこの話をしたら、
「そりゃお前さん、当然左は飾り窓だけど、駅の右側もゲイ地帯なんだぜ。」 という。
つまり、審査官とのやりとりを彼の意図で訳すと次のようになる。
審「入国の目的は?」
僕「観光。」
審「どの街行って、何泊するの?」
僕「アムスに3〜4泊かな、たぶん。」
審「アムスに女を買いにきたの?それとも男かい?」
僕「女か男かって、どういう意味?」
審「どっちに興味があるか聞いてるんだよ。」
僕「オランダ初めてだし、全部試してみたいね、じゃない?」
審「お前、両刀なのかよ!?」
僕「ん〜言ってみればまあね。」
審「楽しんでこいよ!」
僕「もちろん、サンクス。」
ということで、あの審査官はきっと僕のことを両刀遣いだと確信したに違いない。ゲイ地帯がどの辺りにあるのか、RIGHTが本当にゲイ地帯を指しているのかは裏づけをとっていないが、少なくとも下ネタ関係であることは間違いないのだろう。
結局2日しかいなかったアムステルダムは怪しい雰囲気があると思えば、美しい運河と芸術と、親切な人達の暮らす街だった。マリファナも売春も同性愛も公認する何でもアリなオープン感覚もある一方、公共物や交通は日本とは比べ物にならないくらい合理的に整備されているし、ルール違反や他人に危害を及ぼす行為を厳しく罰する律儀な国だ。
あのエロそうな入国審査官を通じて、先進国のあり方と、これからの日本の歩むべき方向を教えられた気がする。
と強引にまとめてみた。


初夢 de 宇宙旅行  (2006.01.03)

木星に一人で旅行に行く夢を見た。2006年初夢だ。木星で何を見たかは全然覚えてないのけど、なぜか木星ではユーロが通用する。往復ともに自分で操縦するUFOで、円盤型で操縦席が半球ドームになっている古典的な、あのオバQのドロンパのと似たタイプだ。で、木星帰りにイオだがエウロパだかガニメデだかの衛星にストップオーバーと称して勝手に着陸してみた。
その衛星はどうやら最近観光地として脚光を浴び始めているらしく、欧米人がいっぱい来ていた。牛と羊と犬を混ぜたような家畜が飼われていた。小ぶりな衛星で岩はゴツゴツしているけど、重力が弱いので歩きやすい気がした。
そしてやはりというか、マクドナルドもあった。お腹がすいていたのでマックチキンでも買おうと思ったら、値段がユーロじゃなくて、Crとかいう記号で書かれていた。たまたま通りかかったアメリカ人女性に聞いたら、1Cr=18ユーロらしい。すると一番安いバリューセットが3500円もするので買うのをやめた。高い!とそのアメリカ人女性も怒っていた。
その衛星には二日ぐらいいたと思う。遺跡を見に行ったら、ハトのフンがすごくて、さらに宿泊した柔道場みたいな施設では虫がワラワラとわいてきて気味悪かった。冷房を入れればいなくなるらしいが、何度やっても暖房しかつかなかった。
そんな初夢。今年もよろしくお願いします。


2006年ミクシイ初め  (2006.01.02)

あけましておめでとうございます。今年も大変な一年になりそうですが、なんとか生存だけは確保する所存です。

表題の通り、ソーシャルネットワークで評判のミクシイに誘われたので遅まきながら参加してみた。そして早速なにをどうすればいいやら、結構戸惑っている。ミクシイでは本名を出すという選択権もある、というより寧ろ本名が推奨されているのだが、310000へのリンクもある訳で、やはり310000と同水準の匿名性は維持したいかと思う。
97年〜という今や古いネット世代である僕にとって、ネットとはオープンな匿名交流そのものであって、この真逆のクローズドな非匿名交流を地でいくミクシイに慣れるまで幾ばくかの時間がかかりそうだ。
ミクシイは入るのに既存の参加者による招待が必要(紹介制)という点で、第一義的にクローズドなネットワークなのだが、第二義的に国外に向けて閉じているという点でもクローズドに感じる。これはミクシイ登録時、居住地の項目に都道府県しか選択肢がない所をみても明らかだ。例えば黒澤映画が好きなアゼルバイジャン人が、ミクシイの黒澤映画コミュニティに入るのは決して容易な事ではない。
もちろんミクシイの価値は、ネットという開かれた場所内であえて閉じられた場所を提供するという点にあるのかもしれないが、この紹介制というシステムは少人数の頃は「限定的」に作用するが、今後参加者が増えてしまい、それこそ一億総ミクシイといったことになれば、周りに誰も紹介してくれる人がいないという状況こそ消滅するだろうから、先に第一義的としたクローズドな性質はもはや維持できなくなり、モデルとして成立していくのかどうか疑問だ。僕の予想ではミクシイは早期に紹介制を撤廃し、単に参加者間の連携が容易なブログに再構成されていく、そして「限定性」を求める人々は、次々と誕生する類似のネットワークに分散し、そこが大衆化するとまた次なる「限定性」を追って離散と集合を繰り返すような気がしてならないのである。ひとえに「限定性」とは他者との差異化であって、それは大衆化とは絶対に相容れないものだからだ。

初日からいきなりミクシイに対して辛くあたったが、そもそも上記の予測以前に、排他的モノローグな僕の文章が、横の連携を重視するミクシイの中でいつまで成立するか、その方がよっぽど時間の問題なのであった。


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