2005年11月
体調 それから  (2005.11.30)

頭痛と体のだるさはかなり良くなってきたが、またもや夜更けに目が覚める。今度は残尿感があって眠れない。もしかして風邪薬の作用かもしれないけど、どうなるんだろう。
とにかく、最近僕の中で何かがおかしい。


それからのこと 孤独な惑星  (2005.11.29)


そして、どこへ行ってしまうのか、とんと見当がつかない。
最近よく夢をみる。前よりもずっとたくさん夢をみる。
今日見たのは、
大阪のどこかのJRの線路際を、どこかで会った太った女の子と一緒に歩いている夢。別に楽しくもなく、うれしくもない。ひとかけらの喜びや苦しみもそこにはなく、春の陽の下をひたすら歩く。ただ、それだけ。
目が覚めると、やはり別に楽しくはなく、うれしくもなかったが、夢とは違い苦しみの素だけは大量に準備されていた。

どこにも行けない。この小さくて大きな星には、あらゆる国とあらゆる町と、あらゆる場所が用意されているというのに、結局は僕はそのどこへも、たどりつけなかった。

そして僕は、もと来た場所へ、永遠の宇宙をさまよう星くずへと、また帰っていくのだった。


死期?  (2005.11.28)

夜中に目が覚め、突然頭が割れるほどに痛くなって、吐く。
軽い風邪ならいいのだけど。なぜか脈拍も異常に速くなっていた。


SUIDOBASHI  (2005.11.27)

119回のTOEICだった。そして会場は母校。なんだか懐かしい場所。リーディングの75分は本当に疲れる。神経へろへろ。


離乳期からの海外旅行  (2005.11.26)

来月わざわざ寒い中、ヨーロッパに行く予定なので、必要なものを買いに池袋のハンズまで行ってきた。
「オランダ行って本物のフェルメールの絵が見たい!」と思っていたのがそもそものきっかけなのだけど、わざわざ誰も行かない真冬にヨーロッパに行くのは、決して酔狂なんかではなく、冬にこそヨーロッパの真実があると思うから。
というのはかなり無理がある嘘で、単に今しか行く時間がないのと、航空券が安いのと、より正確に言えば、本当は南のインドネシアとかカンボジアにゆっくり行こうと思ったのだけど、僕はとてもごきぶりが怖いので、ごきぶりの絶対にいない国へ、と思ったら消去法でヨーロッパしか残らなかったというわけだ。
この季節ヨーロッパは日照時間が短いので、すごく無駄になりそうな気はするのだけど、それなら寒い夜こそ楽しんでやろう、というわけでフジカラーのNATURA1600とかで夜の街を撮ってみるのも一興かな、と思ったりする。
思えば海外行くのは本当に久しぶりで、かれこれ5年ぶりくらいになる。僕はあまり旅行しない人なので、こんなに久々なのだけど、概して日本人はよく外国へ行くなぁ、と思う。ちなみに東京都では一年間に都民の4人に1人が海外に出ているらしい。のべ人数なので、出張などで年に複数回行く人がいると考えても、結構たいした数だと思う。
といっても日本は島国だから、その程度なわけで、ヨーロッパのように狭い土地に国がひしめきあっていて、国境も出入自由な所では、それこそ週末に外国へとか、日帰りで外国へというのはあたりまえだし、国境近くに住んでいる人なんてそれこそ、主婦なら夕飯のおかずを買いに外国へ、会社員はアフター5に外国のゴルフ練習場へ、不良がカツアゲしようと隣の学区へ遠征したらそこはもう外国だったり、小学生も下校途中につい外国で買い食いして、次の日全校朝礼で教頭先生に注意されたり、かと思えば教頭先生も隣の国から通勤する外国人だったり、保育園でもお泊り保育は外国行ったり、国境の長いトンネルを抜けるとそこは雪国だったり、僕らの感覚とはかなり違うんだろうなと、そんなどうでもいいことを思った一日だった。


プーシキンとひきこもり  (2005.11.23)

やっとプーシキン行ってきた。かなり混んでた。
芸術が全然分からない自分ですけど、個人的にはフォランの『パリ、オペラ座の舞踏会』の大胆な表現と、モネの『白い睡蓮』が良かった。マティスの『ブーローニュの森の小道』の光の描写も素敵。構図がちょっと下手な感じがしたけど。
やっぱり印象派かなぁ。310000も少し影響を受けてみるか。
あと、説明書きパネルに「〜年以降〜は南フランスの〜にひきこもり〜に専念した。」とか書いてあったのが記憶に残る。ひきこもりって、けっして現代特有の行動ではないのかも。実際今の日本のヒッキーから何か素晴らしいものが生まれるでる可能性も否定できない気がするし。いわゆるアニメとか萌えとかのオタク文化はヒッキーな人達によって支えられて発展してきている面もあるだろうし。パラサイトっていうのも、要するにパトロン付ってことか。
かなり乱暴な「ヒッキー=文化人」論。


[最近見た]
・パリ空港の人々
・モダンタイムス
・グランブルー
・約三十の嘘
・ターミナル


カタクチイワシさんの力量  (2005.11.20)


中華料理で食べる中でも、妙においしいと思っていた、空心菜の炒め物を作ってみた。
適当な調味料を適当な分量で入れただけなのに、とってもおいしい。お店と同じ味がする。
気づいたこと。野菜自体がそんなに味があるわけでもないし、中華料理の技がすごかったわけじゃなくて、実はナンプラーがおいしい味を出しているみたいだ。さすが。今回は少し火を通しすぎたので、次回は強火でサッと。
にんにくをみじん切りにして入れるとおいしいよ。


迷えばきりがない  (2005.11.19)

結局、
12/Dec/05 KL862 NRT-AMS
*STOPOVER*
17/Dec/05 KL1607 AMS-FCO
26/Dec/05 KL1598 FCO-AMS
26/Dec/05 KL861 AMS-NRT
にした。
僕は優柔不断なので、永遠に日程が決まらない気がするので、今回はもうお金払ってしまった。
予算も不安なので、かなり短期になったけど。
カメラ、何もって持って行こうかな。
フィルムだったら、GR1かT3かな。
デジタル一眼は重いからパス。いっそ携帯なんていいんじゃないか。携帯で海外を撮った人、あんまりいない気がする。


フライト・キャンセル  (2005.11.18)

12/Dec/05 KL862 NRT-AMS
09/Jan/06 KL2008 CDG-AMS
09/Jan/06 KL861 AMS-NRT
PEX。
でも、キャンセル。
全て仕切り直しだ。


ところで、PEXってSpecial Excursionの略なのに、なんでPEXなんだろう。
SEXだろうよ、ホントはね。オトナの事情。


いよいよだ。  (2005.11.17)

いよいよ、全ての終局に向かって、近づきつつある。それはあなたがたにとっては終わりでないが、僕にとっては最後なのである。
もう、そう遠くはないと思う。


『下妻物語』における特撮とそのダイナミズム  (2005.11.14)

昨年意外なほど高い評価を受けた『下妻物語』をみた。
総評としては、確かによく出来た映画ではあるが、それは現在の日本映画の凋落の中でのみ輝く星なのであって、韓国をはじめ急速に成長するアジア映画を視野に入れたとき、特筆すべきことは多くはないと思われる。
ただ演出に関しては、プロの仕事をしているし、とりわけ絵づくり、カット割、カメラワーク、BGMのタイミング等はかなりいい線だと思う。
さらに、当サイトでもフューチャーしてきた牛久大仏がこの映画の重要な小道具(大道具?)として使われていて、この大仏を入れたカットが実に上手い。まず冒頭ロール中に森から現れる大仏を90度真横から写したカットが挿入されるが、実に牛久大仏の魅力と見せ方を知り尽くした末のカットといえるだろう。当サイトが昨年牛久大仏を取材した際も、望遠レンズを使った森越しのサイドショットが、その巨大さと特撮っぽさをもっとも表現できるとの結論に達したのだった。
さて、ラストシーンはあたかも当然のごとく、牛久大仏横の墓地での乱闘となるのだが、このシーンのあまりのダイナミズムに僕は気を失った。関西便でまくしたてながら金属バットをブンブン振り回すロリータファッションの深田恭子、バックには牛久大仏、BGMは『美しき青きドナウ』。この大迫力を目前にして、自分が言葉で表現できる範囲がいかに狭いかを実感。映画表現にはまだこんな可能性があったのだ。近年のハリウッドはCGが極限まで発達し、再現できない映像はないとも言われている。しかしそれがかえって表現の足かせになっていやしないか。迫力とは決して映像・音響の再現性=リアルさ、のみによって作られるのではなく、むしろ『下妻』のラストシーンような不調和ともいえるカオスの中から、たぐいまれなる才能によって発見・再構築されるものではないか。
表現の可能性は全然失われていない。これからである。
『下妻物語』はそれを世界映画界に示唆する映画であったと思う。
(気に入ったカットを数枚掲載したのでここをクリックしてご覧ください。)


デカ魂、そして理系の女子  (2005.11.11)

『ケイゾク』1話〜3話をビデオで見直す。ゆるぎなきここ10年のドラマNo.1。いまだにコアでカルトなファンを持つ不朽の名作をもう一度。
うーん、ホント素晴らしい。いい仕事してる。タイトルバックのザッピングに鳥肌。
でも本当にすごいのは、監督でも演出でも脚本でもなく、役者の実力。とくに中谷美紀。演技力というより、持ち味、中谷の場合、あの独特の不思議ちゃんパワー。
役としてでなく、本人からして根っから不思議な気が。いつかも「ケーキが食べたくなったので、ミラノ日帰りしてきました。」とか言ってた。この人、頭はいいんだろうか。バカっぽい気も。ま、これで『ケイゾク』の柴田のように、東大法出てたりしたら、もう僕にとって「萌え」すぎて困るわけだが。(余談:「萌え」が最近『現代用語の基礎知識』に載ったらしい)


で、いきなりまとめですが、
やっぱり女子は不思議ちゃんに限る。でもバカな不思議ちゃんは困りますので、最低大卒ぐらいで。学校のランクよりも、大事なのは学科や専攻。基本的に理系の不思議ちゃんがいい。数学できるのに不思議、な感じが素敵。院いって研究ってのもそそる。「専門は有機合成です。」うーんなんていい響きだ。文系なら法学・政治系。つまり六法全書使う系。
実際、理系女子の方が文系女子より不思議ちゃん率高い気がする。法学部も確実に多い。
興奮しているのでこれ以上話のまとめかたが分からない。


きつねか、たぬきか、それが問題だ。  (2005.11.09)

近頃とても実感していたこと、それは人間というのは現実の世界を生きているのではなく、おのおのが頭の中に作り上げた現実の『イメージ』を生きているのだということ。
『世界観』という言葉にも近しいのだけど、若干違う気もする。『イメージ』という言葉は、より個人的な価値観である「生き方」や「日常的な興味の方向」、さらには「好き嫌い」や「キレイ汚い」などの先天的・後天的に獲得された情緒的な価値判断を含んでいる。いや、含んでいるというよりも、むしろそういった個人的で情緒的な部分が、この『イメージ』の中心を築いていると思う。この『イメージ』は本人のみが所有する部分もあるが、一部は家族間・友人間・所属する組織の中で共有される意識となるし、時には社会・国家全体で共有される場合もある。『イメージ』は常に感染していく。感染力の大小はあるのだけど。


近頃はこんなコラムばっかりで読者離れが進むといけないので、『イメージ』を軸にして少し話を変える。
『イメージ』を商売に使うこと。
以前、僕が気になっていたのはコンチネンタル航空のことであった。駅の壁面広告に「東京−ニューヨーク 毎日運航」とあった。で、実際にNYに行ったとき使ったのだが、着陸したのはNYの第三空港であるニューアーク空港だった。マンハッタンまで30分くらいで便利は便利なのだが、実はそこはNY州でなく隣のニュージャージ州であった。騙された。そしてよくよく考えてみると、成田空港も東京でなく千葉である。だから現実的にいえば「千葉−ニュージャージ 毎日運航」が正しい。
やや、僕は屁理屈を言いたいのではない。
ここで、「東京−ニューヨーク」はあくまで『イメージ』であって、エアラインはそれを商売に使ったのか?と考えてみると、そういうわけでもなく、成田は東京という都市の『イメージ』に含まれているし。NYでも同じだろう。そして現実に僕らは成田を東京の、ニューアークをNYの空港として便利に使っている。だから広告の「東京−ニューヨーク」は『イメージ』ではなく、本質だ。
東京、NYといった都市の『イメージ』上の拡張。そんな『イメージ』を前提に成り立つ本質という、逆説的な点がなかなか興味深いと思いました。


全ては「新座料金所を先頭に4キロ」ぐらいの位置に  (2005.11.07)

月曜日の夜、有楽町はビッグカメラの7Fのシネカノンで『ランドオブプレンティ』をみた。
でも、感想は書かない。
書けない。自分の表現能力の貧しさゆえに。
いやそれ以前に、登場人物と自分との世界の間にあるそもそもの「断絶」の深さゆえに、言うべきことは何も残されていないのではないかと思ってしまうのだ。
僕が言えるのは、純粋にそれが「好き」か「嫌い」かだけであって、『ランドオブプレンティ』に関していうなら間違いなく「好き」、いや「大好き」だ。始終硬い棍棒で胸を叩かれているように感じながらの2時間だった。

映画に限らず、僕らの生きるこの人間世界では、お互いの世界の断絶ゆえに、あるいは各人が築く壁の高さゆえに、セリフは真の説得力を持たないのだと、常々思う。
でも、だからといって、どうすればいいんだ。


虚栄の王国。  (2005.11.05)

いろいろなことが平常に向かっている気がするので、ここらへんで普通に近況でも。


[映画]
・死ぬまでにしたい10のこと
予想と全然違う内容。死にゆく人の話だったのか。淡々としてるけど、少し泣きました。フィルムの色調と、カットがいい感じ、上手。原題は"MY LIFE WITHOUT ME"、全然違うじゃない。
・オランダの光
去年の今頃だったと思う、東京都写真美術館で見た。映像美しい。やっぱり光だよね、写真や映像は。光で7割くらい決まるのでは?と思っています。フェルメールやレンブラントって独特で大好き。310000としても意識しているつもり。


[本とか]
前から読みたかったレヴィ=ストロースの『悲しき熱帯』を買った。中公クラシックス。まだまえがきしか読んでないけど。
ほかは最近、いまさらに村上春樹ばっかり読んでる気がする。大学生気分?こういうのを大二病っていうらしい。確かに大学2年生っぽい行動かと自省。なにしろ『ねじまき鳥〜』を読み終えたのが今年の夏ですもの。赤面。
プーシキンまだ行ってない。早く行きたい。


明日の夜明けとサルベージョンアーミー  (2005.11.04)

もう何が正しいのか分からない。何も言葉を思いつかない。そもそも正しいとか正しくないとかあるのか?
僕らは黙って全ての状況を受けいれるだけではないか。僕にできるのは、その黄昏の目撃者であることと言葉足らずの語り部になることだけじゃないか。そして、そこに僕が言葉を失う理由があるのだろうか。
ひょっとしたら、こんな抽象的(かつ断片的)なことを落ち着いて書けるようになったのは、嵐が去った、いや去りつつあることから生じる安堵感によるものかもしれない。
*
僕らは結局あらゆる状況−自分がそれによって形成され、また自分がそれを形成しようとする状況−から全然自由ではないのだ。そんな囚われの身であること。さっきまた、昨日頭にのぼったセリフを思い出し、そして反芻した。
「安全地帯は失われた。」
*
誰も悪くない。誰しも。
すべては僕らを包み込む状況と偶然の産物なのだ。人は悲しみと無実に支配された奴隷船の積荷かもしれない。犯人捜しは簡単だ。でも、犯人なんてどこにもいなかった。


心の底から馬と鹿と  (2005.11.02)

いったい昨日のことはなんだったんだ。結局茶番なのか?これは壮大な芝居なのか?みんな自分に都合のいいことだけ言ってドラマを作り上げてる?そしてラストの筋書きはもう決められていたのか?きっと一週間後にはみんなニコニコしてる。なんだそれ!命の大切さとか、一生の覚悟とか、逆に甘い感傷だとか、一時の感情だとか、あれらは一体なんだったんだ?そうか、僕だけが本気で考えて苦しんだのか。僕はこの二日間の芝居の狂言廻しだったんだな!道化だったんだな!あの涙はなんだったんだ!ひょっとしたら妹は自殺するかもしれないと思って、本気で取り計らったんだぞ!いい加減にしろ!うんざりするくらいバカらしくなった。その一方で極端に歪んで時代錯誤すぎる偏見と先入観。
妹も母もそして父も、本当に底なしに馬鹿だ!
いいかげんにしろ!
酒呑んで寝る!
知らない!


地軸の傾きと地球の重さ  (2005.11.01)

なんだか不可思議なタイトルですが、今日あったことを。


1.羊と夕食を食べたこと
2.妹のこと


1は全部書く。当サイトの(本人が今もそう自覚しているか疑問だけど)コンテンツアドバイザーの羊と上野にタイ料理を食べにいった。とっても辛くて、とってもおいしかった。この半年のことをできるだけ話した。あくまでもできるだけ。僕がこの半年、本当に何を思い、何を考えてきたかはそう簡単に話せるものではないから、それは今後徐々に伝えて行こうと思う。食事代は羊もち。帰りに丸井の地下のスタバでお茶。これはハトもち。やっぱり羊は僕にとって必要な存在だと思った、本当に。これからもますますよろしく。


2はとてもここに全てが書けない。妹の一生に関わること。至上最大の軽さで運ばれてきたウチの家族も、いよいよ重さをしょいこむ時期が来たようだ。ここにこそ冷静な判断あれ、と思う。結局人間っていうのは重さを背負うものなのだ、遅かれ早かれ。そして僕もこれから自分にかかる全ての重力を背負う必要があるのだろう。それは人間の『義務』なのか『必然』なのか、あるいは『運命』なのか。
今夜家族は誰も眠れないだろう。
僕も3時33分に起きてこれを書いている。
そして僕はいっさいの『軽み』をここに、2005年11月1日の夜中に置いていくことにした。


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