2005年01月
ドキュメント『北綾瀬』  (2005.01.30)

男はひどく疲れていた。よれよれのジャンパーに、エドウィンのジーパン、スニーカー。一見大学生くらいに見えるのだが、本当はもう三十近かった。
男はタクシーから降りると、倒れるようにして歩き出した。トートバックには、今日仕事で行った取材先についての膨大な資料。これから編集部に帰って、夕方から徹夜でまとめ上げる、はずだった。
男がタクシーから降りた駅は北綾瀬だ。
先週からの風邪と過労で朦朧とする意識の中、男はパスネットを改札に通し、目の前の階段を見上げた。
吊看板に「大手町・代々木上原方面」の文字。
男の勤める出版社は神田だった。
「よし、このホームで間違いない。」
最後の力を振り絞って階段を駆け上がった。
おそろしく眠い。
たまたま電車が来ていた。しかもガラガラにすいていた。
座席につき、目をつぶる。「これで都心まで30分くらいは眠れる・・・」


ドアが開く音にふと目が覚めた。見ると他の乗客がみんな降りてゆく。
「今どこだろう?」
キョロキョロとあたりを見回す。
なぜかとても長い時間寝た気がした。
駅名標が目に入った。『北綾瀬』の文字。
外はもう真っ暗闇だった。
(ノンフィクションでした。おわり)


過剰な豊富感  (2005.01.29)

「カツカレーのルーに肉が入っているのって、違和感を感じない?」
カツカレーを食べ終わった後に僕がこう言うと、一緒に食べてた人は怪訝な顔をした。
僕は続ける。
「違和感というよりも、不思議な気分と言ったらいいのかな。トンカツが丸ごとのっているのに、それとは別に肉まで入ってるという過剰感、そんな気分を感じない?」
ますます相手に怪訝な顔をされる。
「じゃあ、なに?君はルーに肉が入っているのが嫌なわけ?それなら食べずに残せばいいじゃん、肉だけ。」
そうじゃない、そういうことじゃないんだ、安易に誤解しないでくれ。僕は別に肉が嫌いなわけじゃない。むしろ嬉しいくらいだ。ただ今僕が「カツカレーに肉」という状態に感じている違和感は、単なる好き嫌いじゃなく、世の中に存在する異常な状況についての一般的思索に繋がるものなんだよ。
そうだね、他に例をあげるとすれば、万世のパーコーメンは知っているだろう?あれにはパーコーが丸ごと入っているのに、さらにチャーシューが2枚も入っている。どうだいカツカレーと同じ状況だろ。あ、君が口に出そうとしていることは分かるよ。僕だって知ってる、確かに万世は肉屋だもんね。でも、そうじゃなくて、えーと、つまり僕が感じているのは、「不足しているところもあるのに、なぜここだけこんなに過剰感があるのだろう」といった世界に対する根本的な問い、なんだよ。別にアフリカの飢餓問題とかを持ち出すつもりはないよ。豊かな日本でも、夕食が昨日の残り物とかで惨めな時もあるだろう、それなのになぜ今ダブルで肉が迫ってくるんだろう、この肉をせめておかずが少ない日に一品持っていきたい、という願いだよ。
君には黙っていたけど、僕は生まれてこのかたこの種の疑問を常に抱いていたんだ。たとえば高速道路のサービスエリアの男子トイレに入ると、個室の数が異常に多いときがあるだろ。ほとんど空いているの。それなのに女子トイレはいつも行列のできる店状態だよね。
分かってくれただろ、僕の言いたかった『過剰な豊富感』について。
「他にもいっぱいあるんだ、」そう言いかけたとき、連れはもういなくなっていた。


逃避する地下  (2005.01.28)

今週はすっごく疲れた。
仕事に見せかけた、実は仕事じゃない単なる遊びに深夜まで附きあわされたから。その後二日ぐらい、席が隣なその人のことを心の中で「FUCK野郎」と呼び続けた。


ところで、みなさんはゆっくり本を読みたいとき、どこに行きますか、どこが一番落ち着きますか?
図書館?喫茶店?自分の部屋?
僕の場合は、意外と地下鉄のホームにあるベンチが気に入っている。それも最近のタイプじゃなくて、昔からあるブルーのやつ。イームズのシェルチェアへのリスペクト溢れるあのベンチは、意外と座りやすかったりする。僕はそこに座って、一時間も二時間も本を読むことがたまにある。
家に帰るまで待てないからなのかもしれない、ベンチで買ったばかりの本を広げてしまうのは。
本を読んでいると、電車がやってきては去っていく。もちろん目では見ていない。モーターの音と、ドアが開いたり閉じたりする音が聞こえるだけだ。すらすら読める文庫本とかだと、読み進むタイミングは一定だから、あと何ページめくれば次の電車がやってくるか分かったりする。それは電車の方もダイヤどおりに5分毎、といった規則的リズムで走っているからだ。
ふとたまに時計を見ようと顔をあげる。しばらく目がピントを合わせられなくて、ホームの電光表示板がにじむ。隣を見ると、最初に座っていた老人はもういなくなっていて、若い女が座っている。もうすでに5人、いやとうに10人は入れ替わっているのかもしれない。
ちょっとフォレストガンプっぽいシナリオ。
顔もろくに見てないのに、勝手に一期一会気分。


あと、ベンチには底に小さな穴があいているので、うっかりおならしてしまっても鳴らずに安心。


南京メトロン星人  (2005.01.24)

どうでもいい話ですが、かつての営団地下鉄こと東京メトロの車内アナウンスの女性の声、かわいくないですか?
僕はかなりツボです。
東急や京王のような知的な感じでもなく、JRの新型車両のような人を見下した尖った声でもなく、あくまでも弱々しく語尾を下げるあのトーン。なんて表現したらいいか、会社に電話かかってくる取引先の事務OLの声のような不思議なプリティ食感。


閑話休題。
コンビニで立ち読みした今週のAERA。女性の『モテブーム』特集。モテヘア、モテメイク、モテファッション等は分かるが、モテ鍋ってなんなんだ。キムチ鍋は男にモテモテ?う〜ん
モツ鍋を思い出した。


おわり


ストレス発散  (2005.01.23)

右の写真は全然関係ないので見逃して欲しい。
さて先週はなんだかわりと忙しかったし、妙にストレスがたまった一週間だった。土曜日は久々にピカッと晴れたので写真を撮りに行った。
日曜日(今日ね)は曇ってて寒かったので、なんだか腹が立ったが、とりあえず写真を撮りに行った。
まぁ、それだけなんですけど。
なんだかんだで、10本くらいフィルムを使ってしまった。早くできないかなぁ。


はぁ、明日は月曜日・・・


ビルを殺れ  (2005.01.22)

さて、ウルトラセブンはひとまず置いといて、最近はキルビルも繰り返し見ている。見れば見るほど面白くなってくるから不思議だ。
この映画の面白さの主題である『修羅雪姫』からの引用(パクリ)的な面白さというのは、分かる人しか分からないものだが、誰でもわかる部分がよく出来ていると思う。
個人的に僕が良いと思ったシーンは、
1.ブライドが喋る「キリタイネズミガイルカラ」
2.ブライドが着るオキナワT(上写真)
3.レインボーブリッジを走行中のオーレンの顔
4.オーレンの「ココカラハエイゴデシャベリマース」
5.栗山千明の体育館シューズ
6.最後の『怨み節』


タランティーノは「何がどうすれば面白いか」を世界で一番知っている監督だと思うが、例えば上記2.について「白人モデル体型のユマサーマンにアンダーサイズなTシャツを着せると意外とカワイイに違いない」という勘が働いたのだと思う。
例えば3.のベンツ後部席のルーシーリューの吊上がった目、そして表情、顔にあたるフラッシュライト、とBGM。これらが複合してやってきたときに世界中の観客が感じるであろう「こいつ日本人じゃないだろ」という意識の予測。


まあこの辺にするが、よくこんな映画作ったなぁ、あらためてしみじみ思う。そう思うと同時に、タランティーノへの少なくない尊敬を覚えるのである。レザボアもパルプフィクションも僕にはそうでもなかったが、キルビルは史上最大の傑作だと思う。


・・・それが僕なんだよ。  (2005.01.21)

先週DVDが届いてから、繰り返し見続けているウルトラセブンの12巻、なかでも最終話。
ダンが「僕はウルトラセブンなんだ。」とアンヌに告白する有名なあのシーン。スリットガラスを通したような光の前で、シルエットで向き合う二人(写真)。告白の瞬間流れるシューマン作曲『ピアノ協奏曲イ短調54番』。
協奏曲は止まず、双頭怪獣パンドンとの戦いへ突入。
ウルトラ警備隊の援護で敵がひるんだ隙にアイスラッガーを放つセブン。パンドンはアイスラッガーをキャッチしてしまう。そしてセブン目がけて投げつけるが・・・。
しかしセブンはブーメランの要領でさらにそれを投げ返し、パンドンの首を跳ねる。この瞬間のヒキのカット、アイスラッガーの光具合、そしてピアノ協奏曲。素晴らしい。
疲れ果てた身体から最後の力を振り絞って宇宙へ飛び立つセブン。協奏曲はフィナーレ。ああ、涙なしには見れない!


一人興奮してしまいましたが、僕の言いたいことはつまり、昔の特撮モノは気合を入れて作ってたし、単なる子供だましじゃなかったということ。金かけてたし。
対して今の特撮モノは、子供にキャラクター玩具を買わせるための宣伝みたいになってしまっている。
CG多用も安易だし、レベルが低くなりすぎている。映像産業やマスメディアに携わる人には、ぜひもう一度ウルトラセブンから全てを学んで欲しいと思う。
(ちなみに上述の最終話を写真入りで解説したサイトがあったので念のため紹介しておく。こちら。


あるいは私がいかにウルトラセブンから人生を学んだかについて  (2005.01.19)

ウルトラセブン12巻のDVDが家に到着する。
早速最終回を見て、泣く。
これは史上最大の傑作特撮だ。


なにもない日  (2005.01.16)

雨、しかも寒いので一日家でゴロゴロしていた。Sheep氏から一か月以上前に借りて見ていなかった『キル・ビル』のDVDを見る。こんなに素晴らしい作品だったとは・・・。深作欣二作品をよく知っていようがいまいが、十分すぎる満足度だ。まさに、世の中に存在するあらゆるカッコよさを追求して映画を撮るとこういう事になる、という好例。タランティーノは偉人だ。
本作のキャラクターで一番僕のツボなのは栗山千明。座った目、スポーツソックス+体育館履きスタイルで凶暴性を発揮。『ゴーゴー夕張』の役名もいい。


キルビルを見てたら、もう少し大きなテレビが欲しくなって来た。今のは5年くらい前に親戚からお下がりで貰った28インチのベガ。こいつは入力信号が15.7KHzのみ=プログレッシブDVDやハイビジョンが見れないので最新型が欲しい。どうせならサイズも32インチにアップグレードしたいし。
もちろん発色が問題外な液晶、精細度が問題外なプラズマは買う気がないので(というか高いし)、僕は次もブラウン管です。でも、ブラウン管の生産が終わる前に早く買っておかなきゃ。


それはそうと写真の話。ウチはケータイ写真サイトなのに、最近は可能性を広げるために一眼レフとかで撮ることが多くなっていた。ここでそろそろ原点復帰で、ケータイの方に戻ろうと思う。
今回の写真アトケの新作は、久々にケータイで。
フィルムの場合、ミニカメラが向いている場合、一眼レフが向いている場合もある。また、マニュアルがいい時もある一方、オートでなきゃ撮れない写真もある。
それと同じように、ケータイでしか撮れないモノは必ずあると思えてきた最近。
だからこれからの310000は、ケータイとフィルムを使い分けていくつもり。


山の手フランクフルター  (2005.01.15)

新宿のオペラシティに、森山大道とアラーキーの展覧会を見に行った。森山は白黒で、アラーキーはカラーで新宿を撮る。それ以外にも過去の写真集に登場した新宿がらみの写真も展示されていて、大満足の内容だった。あらためて、やっぱりこの二人はすごいなぁと思う。


帰り山手線の中。大塚から乗ってきた男は、カバンからおもむろにフランクフルトを取り出すと、立ったままケチャップとマスタードをかけて食べ始めた。しかもそこらのコンビニで売っているような細いのじゃなくて、並みの殿方なら劣等感を感じかねないほどの直径&レングス。
その光景は、まさに東京の猥褻感そのものだった。
大塚から乗ってくる、という演出も見事だ。
とはいえ僕は、電車の中で男が太めのフランクフルトを食べる光景はあまり見たいとは思わない。
コンプレックス?
いや、せっかくなら女子に食べて欲しいというだけだ。


パクリ疑惑  (2005.01.13)

小学校低学年の頃、僕はキャベツとレタスの区別ができない子供だった。というよりも、どっちがキャベツでどっちがレタスか自信が持てなかった。他方、確実に自信があったのはダイコンとカブの区別だった。
「形をみればいっぱつでわかるよ!」と無駄にいきまいていた。


そんな僕も高学年になり、ようやくキャベツとレタスが分かってきた。
「トンカツに添えるのがキャベツで、サラダに入れるのがレタス。」
こんなかなりあやうい覚え方でなんとか急場を凌いでいた五年生。

そして六年生の家庭科の時間に脆くもこれは崩壊する。
調理実習。メニューはカレーとサラダ。前日の放課後に班で材料を買いに行った。
八百屋の店先である女子がいう。「サラダにはねー、キュウリでしょ、レタスでしょ、トマトでしょ、あとキャベツ」
この瞬間、僕の中で音を立てて崩壊したレタスとキャベツの区別法。
揺らぐレタス=サラダという方程式。
失われる自信。
はじめて味わう挫折感。


とはいえそんな気持ちを心にしまいこみ中学生になる。そして高校生になり、気がつくといつのまにか僕はキャベツとレタスが普通に区別できる大人になっていた。


そしてあの挫折から10年以上経った2年前の秋、京都に旅行した僕は、四条河原町のスーパーで『聖護院大根』という野菜に出会った。
「これって・・・カブだよね?」と一人でうろたえる僕。
生まれてこのかた、ダイコン=長い、カブ=丸い、と単純に考えていた僕に訪れたいまさら過ぎる試練。
再び音を立てて崩壊する自分の中の何か。


人間失格。


自分は今年、25歳になります。
サラダにキャベツを入れたあの子は今、看護婦をしているそうです。


進化する言語感覚〜そして沙羅曼蛇へ〜  (2005.01.12)

以前はあまり一般的でなかったのに、いつの間にか誰もが日常的に使うようになっている言葉がある。
例えば、日本でインターネットの商用利用が解禁された1994年頃、「メールを打つ」という言いかたは一部のマニアな若者やIT系人種を除いては、社会にあまり浸透していなかった。そもそも世間一般的に見て、「メール」という言葉自体インターネットとケータイの普及以前は馴染みがなかったといえる。
しかし今や時代は変わった。時代とともに言葉も変わった。76歳になるウチの祖父にしても「メールを打つ」という言葉を聞いて、意味を把握している。祖父はケータイ等を持っていないので、テレビ等のメディアを通じて会得した語彙なのだろう。この動きはまさに非一般語彙から一般語彙へ、である。けだし、インターネットとケータイの爆発的普及という90年代後半以降のムーブメントによる社会価値の変化は、確実に老年層の語彙感覚にまでなんらかの影響を与えているといえる。
さて一般論はここまでとして、僕が個人的に感じた非一般⇒一般となった語彙の例として「オプションをつける」という言葉があげられる。現在では、車やパソコンを買うときに「オプションで×○をつける」といった表現をすることが当たり前になっているが、僕が小学生だった80年代に「オプションをつける」といえば、意味はひとつに限定されていたし、しかも非常に狭い範囲でのみ使用される言いかたに過ぎなかった。おそらくもともとゲームセンターのマニアの間で使われ始めた「オプションをつける」は、京都府の花札屋の努力によって、子供のいる家庭にも徐々に浸透したと思われる。(この文章がなんだか分からない人へ。オプションとは下の写真の左はじのオレンジの球のことです。)



反応するツベルクリン  (2005.01.11)

昨日のコラムで、「3夜連続で310000の歴史をご覧頂きます。」とNHKのBSの予告っぽいことを書きましたが、やっぱり止めました。ファイル自体も削除したのでもう見れません。なぜ急遽中止したかというと、そんな企画自体、僕の自己満足に過ぎないし、見てもつまらないだろうと考えたからです。そしてなにより、
「過去なんて振り返るんじゃない。未来を見つめて生きろ!」ということですね。スポ魂的に言えば、まあ。


というわけで、今日は普通の日記。月曜日の夜、当サイトのコンテンツアドバイザーのSheep氏とベトナム料理を食べに行った。Sheep氏の選ぶ店だから相当美味しかったのは言うまでもない。
さて食事中、構想中だった次回の【特撮シリーズ東京物語】の企画ついて激しくダメ出しされた。氏いわく、「ネタっぽすぎて310000の方向性に合わない」とのこと。
さすがコンテンツアドバイザーだな、と妙に感心してしまった。


話は変わって、今日板橋区のある街に行った。で、そこで見つけたヤンキーグラフティ(以下ヤングラ)には少し考えさせられた。普通ヤングラといえば、「死」とか「夜露四苦」とか「○×愚連隊参上!」とかが古くからの定番だが、そこで見たヤングラは、
「東京都」 だった。
スプレーで撲り書いたわりには予想外に冷静な三文字。だが作者が言いたかったことは少し理解できる。
「東武東上線沿線だけど!畑が多いけど!どちらかっていうと埼玉だけど!俺にとって板橋区は東京都だぜ、行政上!」といったところだろうか。
ある意味、領土宣言に近い。
グラフティーを通じて再確認する領土のゆるぎなさ。
ちなみに近代国家の三要素とは、「主権」「領土」「国民」であるという。


歴史のお勉強 part.1  (2005.01.10)


当サイトは2年前の9月に突然始まりました。開始当時は本当に荒削りのサイトでした(今も)。その後たび重なるリニューアルを重ねて来た310000ですが、大きく分けると現在のサイトは四代目のデザインなります。
今ご覧の方々の中には当時を知らない人が多いでしょうし、サーバーの容量も余りに余っているので、310000所蔵のアーカイブを掘り起こして、今日から三日連続で310000の歴史を振り返ってみたいと思います。
(実は単なるコラムの手抜き)


第一回目の今日は2003年9月〜11月頃までの、つまり開設当時の310000を見てみます。
ここをクリックするとタイムスリップします。(ほとんどのコンテンツが見れます。)⇒1/12削除しました。
デザイン的には現在とは程遠いですが、背景の色は今と全く同じものを使用しているところに因縁を感じます。この頃は310000というサイト名の由来どおり、310000画素、つまり初期のカメラ付きケータイを使っていたので、写真はすべて縦長です。-トウキョウソラ区という言葉はまだ使われていませんでした。
遠足なんてやっていたんですね。


規格モノ  (2005.01.09)


この間、はじめて「ハト☆さんは結婚してるの?」って言われた。

いつの間にかそんな風に見える年になってしまったのか、と思い味わったことのない哀しさが喉から鼻に抜けていくのを感じた。


以前から検討していた310000の写真規格を一部公開しました。画面下部のCPLのアイコンから行くことができます。まだ秘密の部分が多く、なにがなにやらの状態ですが、よろしければご覧下さい。


人間 合格  (2005.01.08)

1月9日日曜日15:00。今こうして寝間着のままで、昨日の日付のコラムを書いている。
今日は何もしたくない。
玄関のチャイムが鳴る。
でたくない。
2秒後、電話のベルが鳴る。
でたくない。
もう一度、玄関のチャイムが鳴る。
でる気はない。


人間は夢で前の日の感情を整理するというが、本当だろうか。僕の場合は夢は一晩に3本も4本も見たりして、とくに最近はなんらかの激情がその中でぶちまけられている。今朝見た夢の中では、ある親友に「もうお前とは関わりたくない」と言われた。これはどうやら自分の感情を正当化する夢であって、現実には親友と「もう関わりたくない」と思っているのは僕の方なのだ。このように僕の夢は偽善性・歪曲がバレバレなものだから、目が覚めたときに自己嫌悪感に襲われることが多い。
だから夢で感情整理なんていうのは、とんでもない話なのだ。感情の整理は、目が覚めているとき=こんなどうしようもない休日の午後に行われる。ぼーっとして頭が真っ白になり、気がつくと陽が暮れている。夜になると何かを忘れるようにアルコールに耽溺する。
そして気がつくと、平日の朝である。こんなんじゃ休みの間に感情は何も整理されていないように思えるが、わりとどうにかなっている。そして意外と快調な一週間が待っている。
いや快調なのではなく、次の週末までの間、またなんらかの感情をひた隠しに生きてゆくのだけなのだが。



夢と未来と  (2005.01.06)

仕事初めの前の夜、変な夢を見た。
秋葉原みたいなゴチャゴチャした街の一角で、僕らはパーティーをやっている。出席者には幼少の頃のガキ大将達がいて、僕は片隅で小さくなっている。
ふと気づいたのだが、その日は僕の誕生日らしい。パーティーもお開きになった頃、大人になったかつてのガキ大将が僕に声をかける。
「ハトは今日でいくつになった?18歳?」
そう言われて僕は気まずくなる。
「いや、実はもう25歳になるんだ。」
夢の中ではあったが、異常な焦燥感が僕を襲う。パーティーの食べ残しや酒の空ボトルを満載して、アキバの街(らしき所)をゴミトラックが走っていく。
それでもまだパーティーは続く。
近くの席に座っている女子高生が僕にこう言う。
「密着してあたりまえだって!」
ここにきて仕事のダメ出しだ。今僕が実際に研究開発に参画している、あるプラスティックの表面処理の課題。密着の悪い薄膜のことについて女子高生に揶揄されたことに、僕は苛立った。
汗だくで目が覚める。
目覚まし時計は規則的に針を刻みながら4:30をさしていた。
夢の言わんとするところは分かる。25歳まであと8ヶ月もあるが、年齢がじわじわ20代半ばに近づく焦り、仕事の焦り。耐えられない自分の弱さ。
布団をかぶり、朝を待った。
そして、色んな焦りとともに2005年が始まった。


次世代カメラ  (2005.01.05)

今日は仕事初め。
初日だからたいしたことはしてないけど、のびきった輪ゴムのようにダラっとした正月休みを過ごしていた反動もあって、かなり疲労感を感じた。やっぱり休みとは気の使い方が違う、気の。


帰宅して、ドラクエを進めるつもりだったが寝てしまう。目が覚めると夜12時頃だった。仕方ないから今コラムを書いている。


そのドラクエの事で以前から思うところがある。
ドラクエに出てくるお城の大臣は、よく「ごきげんうるわしゅう」っていうセリフを言う。ホントよく言う。なんでだろ。


昨日から次世代カメラの構想を練っている。アヴァンギャルドでポストモダンなやつ。カツオブシ型なんてどうかなぁって思っている。近くイメージイラストを描いて発表します。


遊星からの物体X  (2005.01.03)

ひきつづき祖父の家の話になって恐縮だが、どこの家にも不思議な物品は一つくらいは存在するものだ。写真は祖父の家にある地球外物質。僕が生まれる前から存在し、ずっと同じ位置におかれている。サイズはH=400 φ=450(mm)といったところ。椅子なのか何かの容器なのかも不明。とっても怪しい。そしてじっと見ていると、なんだかカワイイと思えてくるからミステリアスだ。色づかいとか模様とか、結構うっとりくる。
む、こうやって地球人を誘惑する気か。
ウルトラ警備隊に通報した方がいいのかもしれない。


あと、同じもの持ってますって人は連絡下さい。


警視庁のアサペン  (2005.01.02)

正月といえば、帰省である。例に漏れず僕も母方の実家に日帰りで帰省してきた。ひととおりメシを食い、酒を飲むと、正月の老人の家というのはヒマである。仕方ないので僕は祖父の物品を色々とあさりだした。そこで見つけたのが掘り出し物のカメラ(写真)である。
アサヒペンタックスの一眼レフ+フラッシュライト。ファインダーを覗いてみると、案の定プリズムにカビが生えていた。電池も腐っていて交換不可能のようだが、ペンタックスに出せばオーバーホールしてくれるかもしれない。少なくとも現状でもマニュアルカメラとしては使えるので貰ってきた。
折りたたみ式のパラボナアンテナ型フラッシュが時代がかっていて素敵だ。昔の新聞記者を彷彿とさせる雰囲気。祖父に聞くと、昭和43年に日本橋のとあるカメラ屋で購入したと言う。もう40年近く前のことだ。
祖父は警察官だった。当時は警視庁の現場用カメラはほとんどその店から買っていて、そのよしみで購入したらしい。ペンタックスを選んだのも、警視庁の標準カメラがペンタックスだからそれに合わせたという理由だそうだ。
ちなみに調べてみると、現在でも警視庁の現場撮影カメラはペンタックスで、今の標準機材はMZ-3とのこと。


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