2004年05月
レンタルCDジャケコピー  (2004.05.31)

TSUTAYAではっぴいえんどの『風街ろまん』を借りてきた。当日返却と1weekレンタルだと100円も差があったので、当日返却を選んで急いで録音することにした。家に帰り、さっそくiTuneで録音。部屋のオーディオでも聴けるように、CD-Rにコピーすることにした。こういった作業はよくやるので手馴れたものだ。CD-Rのレーベル面がさびしいのでジャケットをスキャンして、プリンタでレーベル面に印刷することにした。ジャケット画像には文字がなかったので、手打ちで文字も入れてみることにした。『舞亭ペン字楷書上級』というフォントを使ってみた。正直言って、なかなかの仕上がりであった(写真
レンタルしてきた元CD(レーベル面は文字だけ)より、商品っぽくなってしまった。


時計塔っていいな。  (2004.05.30)

■新宿の超高層ビル街にKDDIビルがあるのはご存知の向きが多いだろうが、このビルの正式名称が『国際通信センター』というのはあまり知られていない。正直言って、かなりカッコいい名前である。以前紹介したつくば学園都市の『高エネルギー物理学研究所』のカッコよさに通じるモノがあると思う。ビルの大半はオフィスと思われるが、よく見ると下層階の窓は軒並み外壁パネルで塞がれているので、下層階はオフィスではないと思われる。
では窓の塞がれた下層階にはいったい何があるのか・・・機械室である。おそらく交換機など通信関係の機械が詰め込まれている。いや、たとえ本当は違うとしても、機械室であって欲しいという願望が僕にはある。いやKDDIビル全体が機械室であって欲しい。もっといえば「あのビルは機械塔だ!」と思いたい。なぜなら新宿オフィス街の真っ只中に機械塔があって、中ではメカが24時間体制で国際通信をさばいているとしたら、カッコいいからである。
さてファミコン世代の僕にとって機械塔といえば、『悪魔城ドラキュラ』シリーズの時計塔ステージである。内部に振り子やステンドグラスがないものの、『国際通信センター』の方が『悪魔城ドラキュラ』の時計塔よりカッコよく感じるのはなぜか?・・・それは塔という形に合理性がないからである。『ドラキュラ』の時計塔は、遠くからみて時刻が分かるように『高い』必要があり、ここに塔としての合理性がある。一方『国際通信センター』の方は塔としての合理性がない。国際電話交換機などのかさばる機械は、郊外に平屋のデカイ建物を造りそこに設置したほうが、はるかにコストが安いはずだ。大都会新宿である必要もなければ、超高層である必要もない。だからこそ僕はあのビルが合理性に反して『機械塔』であることを願っているのである。
■余談だが、このビルのすぐ近くにNTTドコモの機械塔がある。新宿駅南口から見えるアレである。こちらは機械塔であることが判明しているのに、あまりカッコよさを感じない。それはニューヨークの某ビルをパクったようなデザインのせいのみならず、ドコモ塔にはやはり塔として合理性があるからだ。つまりビルの上層部には携帯電話のアンテナが設置されていて、電波が届くよう『高い』必要があるからなのだ。とはいえ下から上まで機械がぎっしり詰まっていることを想像すると、妙な満足感だけは味わえる。


オヅってるヒト  (2004.05.29)

■DVDで『秋刀魚の味』を見た。小津安二郎の遺作で、珍しいカラー作品。デジタルリマスター処理で映像がとてもきれいだった。『秋刀魚の味』は初めてだったが、予想通り素晴らしい作品だった。軽快なリズムの音楽とともに昭和37年の東京は描かれる。笠智衆は定年間近の会社員。彼は妻を亡くしたため、OLをやってる娘(岩下志麻)が家の世話をしていて、そのせいで娘は嫁に行きそびれているという話。そして長男夫婦は東急沿線の団地に住む新中産階級的サラリーマン所帯。笠智衆は中学校のクラス会の後、酔った恩師『ひょうたん』を家まで送り届ける。そこは場末のラーメン屋(ウチの前にもそんなラーメン屋があるが/笑)だった。『ひょうたん』は嫁に行けなかった40過ぎの娘とほそぼそと貧しい生活を送っていた。笠智衆はそれをきっかけに娘に嫁に行って欲しいと考えるようになるが・・・。
■この作品にはサンマは出てこない。このタイトルは比喩なのだ。『秋刀魚の味』とは『人生の味』である。この作品、意外にも悲哀に満ちたシーンが多い。『ひょうたん』の娘が浮かばれない人生を嘆き夜中に店で泣くシーン、失恋したのに家族の前では平静を装う岩下志麻が部屋ですすり泣くシーン、そして娘の結婚式の夜に笠智衆が「ひとりぼっちか・・・」とつぶやくラストシーン。脂がのって美味しい旬のサンマも、はらわたを口にすると苦味が口に広がるのである。軽快な音楽とともに描かれる登場人物の幸せそのものな人生にも、苦味はじんわりと広がっているのである。書き足りないけど、ホント素晴らしい作品だった。見ないで死んだら損するタイプの映画。余談だが、若き日の『オバケ』こと岸田今日子がバーのマダムとして出演している。また、女性役の衣装が美しい。赤をキーカラーにセンスよくまとめられている。デザイナーのハナエ=モリが関わっているとか。
■さて、本題。今日は北新宿(新宿〜大久保の間あたり)でオヅってきた。『オヅってる』とは「小津アングルで写真を撮ること」である。なんのことかさっぱり分からない人は、当サイトの[フォト]→[東京物語]のコーナーを参照して欲しい。
普段オヅってると、怪しい人と思われて通行人から変な目で見られることが多いのだが、今日は違った。人けの少ない道路の真ん中でオヅってたら、横から老婦人に声をかけられた。
「もう通ってよろしいでしょうか?」
「はい、どうぞ。邪魔ですみません。」
「いいえこちらこそお邪魔して。いい写真撮れましたか?」
と。ローアングルでケータイ電話を構えている23歳男なんて怪しい限りなのに、『小津アングル』もついに市民権を得たか、とひとり思った。


ああ無情  (2004.05.28)

泥と汗のごとく日々が過ぎてゆく。
※今日のレンタル作品
小津安二郎『秋刀魚の味』


続・『東ヨーロッパを攻める』  (2004.05.27)

体調が回復したので、24日の続きを書こうと思う。
前回、『大御所』の部屋に呼ばれて酒をすすめられたところまで書いた。部屋に行ってみると、案の定『重鎮』もいた。僕らは彼らのグラスにルーマニア産のウォッカを注ぎ、彼らの正体について質問した。
といっても別に本物のヤクザではない、『大御所』は茨城県で肉屋を経営していた。戦後間もない頃は船に乗っていた時期もあるらしく、強靭な肉体はそこで培われたという。年齢は予想通り70代半ばであった。『重鎮』の正体はついに明かされなかった。
「夜も遅いのでもう部屋に帰りなさい。」と言われ、僕らはおとなしく部屋に帰ったのだが、彼らはまだ飲み続けるようだ。翌朝ホテルのロビーで会って話したら、「昨日は日付が変わるまで飲んでいて、今朝は4時に起きてまた飲みなおした」らしい。70超えててこの元気はなんなんだろうか。
観光バスに乗りその日も観光だった。後部座席を振り返ると『大御所』が目をギラギラさせて車窓を凝視している。僕の相方がそれを見ながら言った。
「ありゃ普通の肉屋じゃないね。茨城の肉業界の元締めだよ、きっと。」
「茨城っていう場所が気になるね。もしアメリカと日本が戦争したら、米軍は鹿島灘から上陸してくるだろう。きっと大御所の家はその時に東京を防衛する要衝なんだ。」と僕。
普通日本人がアメリカやヨーロッパに行くと、立派な体躯の欧米人に見劣りするものだが、『大御所』はその点では逆だった。観光地で『大御所』の姿を見ていると、観光に来ているというより、「観光バスに乗ったモンゴル人がヨーロッパを侵略している」ように見える。『チンギスハーン』と『大御所』の姿が僕の目でオーバーラップする。800年前もこんなことがあった。違うのは前回は馬に、今回はバスに乗っているということだけだ。プラハの街を大股で歩く『大御所』見ていると、僕の頭のなかにワーグナー作曲『ワルキューレの騎行』が流れた。
そんなこんなで約一週間のツアーの日程は終了した。残念ながら今回は『視察』にとどまり、チェコスロヴァキアは火の海になることはなかったが、次回『大御所』がこの国を訪れるときには流血は避けられないだろう。僕らが東京に帰った翌日、危機感を募らせたチェコスロヴァキア政府は急遽『EU加盟』を世界に向けて発表した。(すべて実話・終わり)


シベ超と愉快な仲間たち  (2004.05.26)

TSUTAYAでビデオを借りた。


『シベリア超特急4』
・・・ご存じ映画評論家の水野晴朗が自腹を切って作る超C級映画の第4弾。今回は舞台作品の録画。相変わらず水野氏のセリフの棒読みっぷりがステキだ。ちなみに1作目の元ネタはヒッチコックの『バルカン超特急』で、ラストシーンで水野氏が真顔でカメラ目線になって「本気で反戦を訴える」というすさまじい作品だった。
■公式サイト
http://www.mizunoharuo.com/


『大怪獣東京に現れる』
・・・「怪獣がでない怪獣映画」として有名になった作品。桃井かおりが出てる。本当にくだらない内容。


ゴゴゴ  (2004.05.25)

頭痛と吐き気のためお休みです。


『東ヨーロッパを攻める』その1(実話)  (2004.05.24)

「3年前、僕は東ヨーロッパを旅した。」
そういうとカッコいいが、単に友達とパッケージツアーに参加しただけである。主にチェコスロヴァキアを中心にバスで巡るツアーだったのだが、特徴としては老人客がとても多かった。なにしろ僕と友達、1人でツアーに参加した明治大学のツワモノ男と、母親と一緒に参加していた女の子の合計4人以外は、みんな『老人』であった。
東ヨーロッパというニッチな旅行ツアーに参加する老人だから、ツワモノも多かった。「このあいだ南極に行ってきた」という初老の男性、メルセデスのEクラスを「小ベンツ」と呼ぶババア(失礼)なんてのが、ゴロゴロしていた。
なかでも気になったのが、ある3人の爺さんだった。僕らはその3人に勝手に次のようなニックネームをつけた。会社社長風の『重鎮』、大学教授風の『匠』、豪族風の『大御所』である。彼らはツアーの初期からツルんでおり、見るからに異様な雰囲気を醸していたが、なかでも僕らが興味を持ったのが豪族風の『大御所』である。彼の体は悪徳政治家のように恰幅がよく、髪の毛は銀髪オールバックに、白のダウンコートを着ていた。ちなみに顔立ちは田舎ヤクザ風である。軽く70歳は超えているというのに、夕食の度に酒をがぶ飲みし、観光名所ではろくに観光しないで、葉巻をふかしている。「おそろしい・・・でもぜひ弟子入りしたい。」そう思った僕らだが、直接話すきっかけがないので、ツアコン(20代女性)に仲介してもらった。「●●さん、この子たちが弟子入りしたいそうです。」とツアコン。『大御所』は僕らに近づいてきて、「今夜俺の部屋に来なよ、いい酒買っといたから。」と言った。『大御所』の正体が明かされるのはその夜であった。(続く)


うこん  (2004.05.23)

新宿のボンベイにカリーを食べに行った。メニューが豊富で値段も安く、とくにナンがおいしかった。なかなか良い店だったのだが、ひとつ気になることがあった。メニュー巻頭の『カリー豆知識』という連載によると、カリーのスパイスに使われる『ターメリック』とは実は『うこん』のことらしい。『うこん』と言えば、健康食品の宣伝などでよく見かけるし、文字の順番をひとつ間違えればアレになってしまうという緊張感ゆえに、ご存知の方も多いと思う。それなのに・・・あれは『ターメリック』だったのか。
もう高い健康食品を買う必要なんてない、S&Bのカレー粉をなめれば十分健康になれる。ここまで書いていて思ったのだが、『うこん』と一文字違いのアレは見た目がカリーによく似ている。そういう意味ではやはり『うこん』と『ターメリック』にはなんらかの因果関係があると見てもよい。人類最大のタブーがここにある。


雨×3&東京論  (2004.05.21)

「東京は都市ではない、ある状況のことである。」
そんな話を昔聞いた。その頃はよく分からなかったのだが、最近の僕にはなにが言いたかったのか分かる気がする。
NYやパリは都市だと思う。仙台や札幌も都市だと思う。大阪や名古屋は規模が大きいがやはり都市だと思う。京都は少し違う、身体が都市から離れてゆき、都市の上にひとつの『時間』が存在する。東京はもっと違う。都市という『あり方』は東京の一つの『見かけ』にすぎない。新宿は都市ではない、渋谷も都市ではない。それらの狭い空間で(おおよそ東京で空間とは駅前である)起こる『ある状況』のコングロマリットが新宿であり渋谷である。重要なのは『起こる』という点である。『起きた』でもなければ『起こりうる』でもない。東京には過去もなく、また未来もない。『瞬間』のみが存在し、次の瞬間にはそれは消費しつくされる。「過去がないなんてウソだ。江戸や戦争の歴史があるじゃないか!」確かにそうだ。しかしその歴史も実感を持った(ヨーロッパの都市にありがちな)『重み』ではなく、とてつもなく軽い『標本』としてただちに消費される。歴史は忘れ去られるのではなく、買い尽くされ、売り切れる。東京とは、ときに一過性に、ときに反復的に、刹那的な時間と狭隘な空間を消費してゆく人々の集合である。


バーコード  (2004.05.19)

よく個人のHP、とくにオシャレ系のHPにバーコードみたいなものがあったりする。アクセス数14904の上にバーコード、開設日19990413の上にバーコード。別に嫌いなわけじゃない、オシャレだとは思わないが、いいと思う。
問題は、「あのバーコード、下の数字とあってるの?」ということと、「レジでスキャンしたら、いったい何円って表示されるのか?」ってことだ。
オシャレ系HP管理人様、教えてください。


iTune  (2004.05.16)

Windows版のiTuneがいつの間にかリリースされていたので、インストールしてみた。かなり良い。動作は軽いし、インターフェイスも洗練されている。iMacのCMでやっていたようなビジュアライザーも美しいし、ネットラジオを聴いていても、曲が変わるたびに左下に曲名が表示されるのが便利。ビジュアライザーはWindowsMediaPlayer(WMP)にもあるのだが、iTuneのそれが曲にあわせて変化するものだとしたら、WMPの方は本当にただ『動いているだけ』という印象。
それにしてもAppleのインターフェイスは直感的に分かりやすくて使いやすい。バージョンアップの度になぜかどんどん分かりづらくなっていくWindowsとは大違いだ。Windowsの人もぜひ使ってみるべし。


渋谷で迷子  (2004.05.15)

渋谷で『LOST IN TRANSLATION』を見てきた。なんやかんや悪評が多い映画だが、僕は良い映画だと思った。新聞の文化欄のセンセイ方、批判ばかりでなく、映画はもっと素直に見たほうが良いんでないでしょうか?まあ彼らは批判が仕事なんですが、『ラストサムライ』と比較して「重みがない」というのはどうかと。比較対象が無茶だし、そもそも『重さ』なんて誰も求めてないし。
僕は東京で『撮るべきイメージの喪失』に悩まされてるので、東京で自分を見失うロスト〜のストーリーには共感できるものがあった、と無理矢理こじつけてみた。
あと、映画の中で京都へ向かうシーン、新幹線が今はなき100系(2階建て新幹線)だった。100系は2003年10月1日の品川駅開業とともに全廃されているので、撮影はそれ以前なのかな。


※今日の買い物
・『2010年宇宙の旅(本)』アーサーCクラーク
・『大東京バス案内(本)』泉麻人
・するめ


法則1  (2004.05.14)

このたび僕はある重大な法則を発見した。


「高校球児の眉毛の細さと、その高校の所在地の田舎度は正比例する。」


ご意見待ってます。


暗い日曜日  (2004.05.12)

『暗い日曜日』という名曲がある。1930年代のハンガリーで作曲された曲で、自殺曲として有名だ。ナチスの影がちらつきはじめた中部ヨーロッパでは、この曲を聴いて自殺する人があとを絶たなかったという。ユダヤ人救出劇で知られる小説『シンドラーのリスト』でも、ユダヤ人演奏家がこの曲を弾き、罪悪感を感じていたナチ親衛隊の1人がピストルで頭を打ち抜くシーンがある(フィクションかも)。
もともとは三角関係の3人が共同で作った恋愛がらみの曲だという『暗い日曜日』は、その後ダミア(ダミ声の由来の歌手)によってシャンソンになったり、ビョークにカバーされている。日本では『淡谷のり子』がカバーしたらしい。最近ドイツのラジオが1時間ぶっつづけでこの曲のカバーを流したようで、Realplayerがあれば下のストリーミングサイトの右下のaudioを押せば聴くことができる。
Radio Eins


地球の歩き方  (2004.05.11)

ちょっとした機会があって、元日本航空の客室乗務員(スッチー)だった人に『良い立ち方』を教わった。
その人が言うには、僕は立っているときも、歩いているときも「体の重心が後ろすぎる」らしい。そう言われてもなー。ためしに前に重心かけてみたら、倒れそうになった。(笑)


もし東京の街で、なにもないのに前に転ぶ人がいたらきっと僕です。
(写真のスッチーはイメージです。)


豆談義  (2004.05.10)

僕はよくスタバで豆を購入している。好きな豆の傾向はBOLDだ。

たまたま今日会ったお嬢さんがスタバでバイトしている人だったので、少し話した。当然彼女は豆には詳しい。彼女もBOLDな香りが好きなようで、しばらくゴールドコーストの『重さ』と、イタリアンローストの『深さ』と、ケニアの『野生』と、スマトラの『力強さ』と、スラウェシの『ラベルの変な顔はなに?(笑)』について語りあった。

BOLD派ひと筋だった僕も、最近は状況と気分によって軽い豆も選ぶようになってきた。夜なのに、ブレックファーストブレンドを飲んだりする。


忙しくて  (2004.05.09)

テクストをあまり書いてませんでしたので、5/10-12の分はまとめて12日に書きました。


ヤマオ区  (2004.05.07)

仙台市の青葉区というところは普通仙台の中心街として知られていて、三越とかのデパートがあったり、高層ビルが立ち並んでいるし、車もバンバン走っている。
でもそれだけではなかった。実は青葉区は東西に35kmの範囲があって、温泉もあれば、1500mの山もある。車で山道を走っていると、タヌキしか住まないような山奥に「仙台市青葉区」の看板があるそうな。東京の人が考える区という概念を遥かに超越している。奥多摩が「東京都千代田区」を名乗るようなものだ。なんで青葉区がそんなことになったかというと、仙台市が政令指定都市(人口も条件)を目指したときに、人口を増やすために無理矢理まわりの町や村まで吸収合併したからだ。


もっと常識ハズレな区が今度できる。
静岡市は来年の4月に政令指定都市への移行を目指していて、そのあかつきには市内を3つの区に分けるらしい。そして西武デパートや伊勢丹のある中心街は葵区(仮称)という名前になる。この葵区の中にはなんと3000m級の南アルプスも含まれる。大学の登山部が死に物狂いで頂上に着いたと思ったら、そこには「静岡市葵区」の看板。なんかがっくりくる。
僕ならそこで絶対こう叫ぶ。
「僕らの青春を返せ!」と。


撮り続けること  (2004.05.06)

「牛久大仏の件で忙しいから、
更新はあんましできません。」


とか言っておきながら、結局また写真を更新してしまった自分を発見した。気づいたら写真を撮ることは僕の日常になってしまった。写真への執着でもなく、空への執着でもなく、撮り続けることへの執着。こんなことを書いていたら、日航の御巣鷹山墜落のときの記者会見での、日航の社長の言葉を思い出した。


「それでも今日も日航は飛び続けます。」
たしかそんな感じだった。


で、僕に言えるのはこれだけだ。
「世界で何が起ころうと、ただ一切は過ぎてゆきます。僕という存在も、ただ過ぎてゆきます。」


推理小説『Something Strange』  (2004.05.05)

中年探偵トンプソンはSOHOでケイトと待ち合わせていた。ケイトはNY市警の敏腕刑事だった。約束の倉庫に入ると、両側にはコーヒー豆の麻袋が船から下ろされたままの状態で積み上げられているのが目に入った。倒産した倉庫の忘れられた在庫である。
「カチッ」と近くで何かが音をたてて光った。
トンプソンは腰に手を回したが、銃を抜くまでもなかった。
「待っていたわ。5分遅刻よ。」
ケイトはマルボロに火をつけると、ジッポを再び閉じた。
トンプソンは腰から手を戻し自分も煙草を取り出した。
「今回のケースは危険か?」
「ええ、おそらく。それも今までで最大にデンジャーよ。」とケイト。
「簡単に結論から言うわ。彼らは実は1人だったのよ。」
「なに!どういうことだ!」トンプソンは焦燥感に汗が出た。
「つまり、3人いるように見せかけていただけなの。イギリスのBBCにいる友達にあたって、今までのTV出演を全部調べてみたわ。すると彼らは絶対同じ番組には同時に出演しないし、生放送の場合は必ず時間が重ならない。もっと早くに気づくべきだったわね。」ケイトは苦々しく話した。
トンプソンは切り返す。「しかし、メジャーリーグは。あれだけはごまかせない。」
ケイトはにやりとして言った。「少し調べてみたら球団は賄賂を貰っていたことがわかったわ。これで完全に裏はとれたの。そう、田村正和、京本正樹、新庄剛志は別人じゃなかった。全部一人の人間だったのよ。特殊メイクでごまかしていたけど、見抜く人は少なからずいた。」ケイトは息を呑んだ。
「アパムか?」
「そうよ、彼は見抜いてしまったの。そして消された!」


同じ頃、NYのスラム。市警は50人を動員して、下水道で見つかったユダヤ人の死体の周辺を捜査していた。
「警部補、ダイイングメッセージがでました!」と科学捜査員。
「読めるか?」警部補は髭に手をあてた。
「はい。」
タムラ キョウモト カミガタガ ニテ・・・文字はそこで途絶えていた。


旅の時間  (2004.05.04)

何年たっても鮮明に覚えている記憶、それは意外となにげない場面だったりする。
食事の内容や店の雰囲気はぼんやりとしか思い出せないのに、食事へ向かう地下鉄や駅を降りたときの記憶はよく思い出せたりする。観光地に行っても景色のことは漠然としたイメージしか残らないのに、帰り道に車で聴いたラジオの内容ははっきり覚えていたりする。海外旅行に行っても、飛行機で見た映画が一番鮮明な記憶だったりする。そう、なぜか乗り物に乗っているときの記憶は鮮明なことが多い。ただ鮮明なだけでなく「いい思い出」として、ときに美しい生彩を帯びていることがある。それはおそらく乗り物に乗っているとき、移動しているときは、多分に旅的な要素を含んだ時間だからだと思う。

旅とは長い人生の一瞬間である他方、旅は人生の縮図であり、メタファーだと思う。旅行とはいつか帰る旅、人生とは二度と帰らない旅のことだと思う。そして旅と人生には共通項が多い気がする。なかでも重要なのは、逃避という点にある。旅は現実(の人生)からの逃避、人生は死というイメージからの逃避である。唯一違う点があるとすれば、現実(の人生)は有限であり、死というイメージは無限だという点だけだ。

乗り物に乗っているときの記憶が鮮明なのは、それが「旅の時間」であり、あるべき人生の姿をそこに見ているからだと思う。


バビ!牛久大仏  (2004.05.03)

Simple/Plan氏と牛久大仏に行ってきた。デカイとは聞いていたけど、想像をはるかに超えていた。興奮の中、もちろんケータイで写真撮りまくった。Simple氏もポラと35mmで同じくらいの枚数を撮っていた。

<業務連絡>
ピンポンパンポン
牛久大仏のことは「Simple氏とハト☆の対談(写真入り)」という形で、特撮シリーズ東京物語の第一弾コンテンツになる予定です。気合を入れて制作し、特撮にも時間がかかるため、完成までは定期更新が滞ることが予想されますが、なにとぞご勘弁のほどをよろしくお願い申し上げます。
ポンピンポンパン


心地の良い響き  (2004.05.02)

おそらく誰でも好きな響きの地名ってのがあると思う。
なかでもフランスの地名が心地良いという人は多い。
パリ、アヴィニョン、エクス=アン=プロヴァンス、モンマルトル、ディジョン、カルチュラタン等々。
ドイツが好きな人はドイツ地名が好きだったりする。
ザルツブルグ、アウステルリッツ、ゾーリンゲン、フランクフルト=アン=デア=オーデル、シュトッツガルド等々。
僕はイギリスとアメリカの地名が結構好きだ。
とくにマンチェスターとメイン州とナッシュビルが好きだ。
対して日本の地名というのは、「なんとなくダサい」という印象を持つ人が多いようだが、僕はそうでもないと思う。探せば素敵な地名はいくらでもある。そして本当に耳に心地良いのはやっぱり日本の地名だと思う。
カッコよくはないが、尾道と豊橋が好きだ。落ち着く。
OnomichiとToyohashi。oが2個ずつ入っているのがその原因かもしれない。
話はさらに変わって、現地の言葉での地名の呼称(日本人がJapanをニホンって呼ぶようなもの。)、または他の言語での呼称(中国人がJapanをリーペンと呼ぶようなもの)ってのが結構好きだ。
僕は耳への心地良さを優先するので、会話の中でそういった呼称を使うときがある。ついついフィンランドをスオミ、ギリシアをヘレス、スペインをエスパーニャ、ポーランドをポルースカ、オーストリアをエスターライヒと言ってしまう。だから話し相手はなにがなんだか全然分からない。


青春小説『キャサミーの麦畑』  (2004.05.01)

「人生における幸せとは、結局はお金の問題。」
図書館で借りた本にはそう書いてあったのだが、まだ12歳のキャサミーにはそうは思えなかった。
彼女は物を買うことにあまり喜びを感じなかったし、そもそもあまり物欲がなかった。将来豪華な結婚式を挙げたいとも思わなかったし、海外旅行やブランド品にも興味がなかった。だから彼女は、なんで世の中の人がそんなにもお金にこだわるのか理解できなかった。
「お金への執着はキッチュな考えなのよ。」
彼女はそう考えた。
「アタシは他の人みたいにキッチュな人間じゃないわ。」
「豪華な家具に囲まれた生活よりも、もっと素晴らしい人生を生きたい。」漠然とそんな風に思ってた。
14歳の誕生日の夜、彼女はふと考えた。
「ところでお金で買えない素晴らしい人生ってなんだろう?
喜び、感動、愛の多い人生?」
窓の外が明るくなる頃、キャサミーはひとつの結論に達した。
「それって一言で、精神的な幸福のことだわ。」
高校卒業のプロムの帰り道、彼女は悟った。
精神的な幸福は人の心によってしか満たされない、ということを。
自分が信頼されたり、期待されたり、愛されたりする人生、そんな素晴らしい人生をおくるには、まず人との縁が大事だと思った。
そして一緒にランチを食べたり、遊んだり、プレゼントをあげたりすることは、その人との縁を深めるためにしていることに気づいた。
簿記の勉強を始めていたので、その頃のキャサミーにはピンときたのだが、それにはなんらかの経費がかかるということがすぐに分かった。そしてこの世界では経費はおおよそ金で支払うことになっていることも思い出した。だから18歳のキャサミーにはそれなりにお金が必要だったのだ。


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